【カンボジア訪問記2025】18日目「苦さの残る乾杯」(2025/12/21)

毎年お伝えしているご留意事項

今回のカンボジア訪問も、渡航費・滞在費はすべて安田の自費です。

皆さまからのご支援金は、自転車や修理クラブ用の工具・パーツ、寄贈セレモニー費用、返礼品準備、EDFカンボジアの活動費用など、プロジェクトの運営にのみ使用しています。
そのため、ブログに登場する「マラソン参加」、「友達の家訪問」や「夜の懇親会」などは、すべて安田の自費で行っております。
「俺らの支援金で遊んどるんちゃうやろな!?」


と心配したり怒ったりしないでください。

本日の活動内容

今日も大きな予定は1つもなく思うがままに時間を過ごしていました。

Linnaちゃんとのやりとり

昨日の20日夜、LinnaちゃんTelegramで写真とメッセージが届きました。

看護学校の学期末の試験が終わったとのこと。メッセージは将来の話、そして「支援」についての率直な質問。
短いやりとりの中に、彼女の真剣さと優しさ、そして不安が同時に詰まっていました。
どんなやりとりをしたのか、お伝えしますね。

2025年12月20日 午後11時ごろ

Linna:「先生、こんにちは。もう日本に帰りましたか? いつ出発されますか?今日、学期末の試験を受けました。がんばりました!」

安田:「こんばんは。明日の夜に日本へ帰る予定です。試験、おつかれさま。時々でいいので写真を送ってくださいね。来年の12月も、また会いに行きます。」

Linna:「応援してくれてありがとうございます。飛行機は何時に出発しますか?私は、自分の夢に向かって学べていることが本当にうれしいです。もし機会があるなら、先生に付き添って日本に行けたら、とても幸せです。直接お見送りできなかったけれど、遠くから先生の健康と安全を祈っています。」

安田
「便は22日の深夜に出発なので、21日の夜9時ごろに空港へ向かる予定です。いつか日本にも来られるといいですね。カンボジアと違うことがたくさんあって、きっと驚くと思います。四季もあるし景色もきれい。アンコールワットも素晴らしいけれど、日本の寺や仏像も魅力的です。おいしい料理もたくさんあります。伝統的な和食もぜひ食べてほしいです。奨学金で支援してきて、もう10年になりますね。来年、あなたが看護師の資格を取ったら、ひとつの節目だと思っています。まずは試験に合格できるように頑張ってください。僕も日本で仕事頑張ります。また来年元気に会いましょう。」

Linna:「はい。試験に受かるように、しっかり勉強します。私も日本に行きたいです。私の国の寺院もとてもきれいだけど、私はまだ観光に行けていません。もし日本に行くチャンスがあったら、本当にうれしいです。先生に聞きたいことがあります。先生が私にくれている奨学金は、誰かの支援が入っているんですか? それとも先生の個人のお金ですか?」

安田:「質問にお答えします。自転車支援のほうは、日本の200人以上の友人たちが協力してくれています。でも、あなたの奨学金は僕が個人で支援しています。今はあなた以外に、高校2年生1人と中学2年生1人も支援しています。」

Linna:「ということは…私の奨学金は、友人の方たちは関わっていなくて、先生から直接いただいているお金、ということですね。もうひとつ質問してもいいですか? 先生が私に奨学金を出そうと決めた理由は何ですか?技術を学ぶには本当にお金がかかるんだって、今すごく実感しています…。」

安田:「最初はEDFカンボジアに『奨学金で1人支援したい。娘がいるので、できれば女の子がいい』と申し込みました。そこでEDFカンボジアが選んでくれたのが、あなたでした。EDFカンボジアの奨学金制度は中学生までなので、卒業すると次の新1年生を支援する形になっています。3年ごとに、新しい奨学生に会う仕組みなんです。僕があなたに会ったのは2015年で、2017年にはあなたが中学3年生になった。そこが制度としての区切りでした。でもあなたが『もっと学びたい』と言ってくれたので、僕は個人的に支援を続けることにしました。支援者も奨学生もたくさんいる中で、あなたに出会えたのは不思議な縁だったと思います。」

Linna:「つまり私は…EDFカンボジアの奨学生として出会って、先生は中学3年を卒業したところで支援が終わるはずだった、ということですよね。でも、そのあと私が高校や看護の勉強を合計6年間続けられたのは、先生の個人のお金だけで支援してくれたから…それは本当ですか?先生から直接奨学金をもらえた私は、本当に幸運だと思います。必ず一生懸命勉強して、試験に合格して、看護師のライセンス証を先生に見せます。もし機会があるなら、日本でも勉強を続けたいです。もうひとつ質問です。私が高校を卒業した時、EDFカンボジアに連絡しなかったけど、その時、先生たちは私のことをどう思っていましたか?

安田ここでまさかの寝落ち・・・

Linna:「たくさん聞いてしまってごめんなさい。先生、休んでください。おやすみなさい。良い夢を。奨学金を支援することは、先生にとって負担になっていますか?」

2025年12月21日 9時ごろ再会

安田:「おはようございます。昨夜は寝落ちしてしまってごめんなさい。質問にひとつずつ答えます。」

安田(1つ目の回答):「本当です。高校と看護学校の学費は計6年間、僕の個人資金で支援しました。看護学校は高校よりさらに費用は高かったけれど、途中でやめることはできませんでした。あなたの“看護師になりたい”という夢を応援し続けると決めていましたから。」

Linna:「はい。看護学校に通ったこの3年間、奨学金を支援してくれて本当に感謝しています。」

安田(2つ目の回答):「日本で学ぶことには、主に2つの難しさがあります。
1つ目は日本語。授業は日本語だから、日本語の勉強が必要で、時間もかかります。
2つ目は費用。日本で学んだり働いたりするために、母国で大きな借金を負う人も多い。」

Linna:「はい。日本語は音も文字もたくさんあって、本当に難しいと思います。」

安田(3つ目の回答):「あなたが高校卒業後に進学しなかったのは、家族の事情で働く必要があったから、とEDFカンボジアから聞きました。僕はその判断を尊重ました。家族を支えることは大事だし、何より働いて収入を得ることは大切だから。その後、2022年に僕があなたの村を訪ねた時、あなたは働いていて、自分のスマホも持っていて、そこで連絡先を交換しました。そこから再び、あなたが夢に向かって動き出した。
Telegramであなたは、クメール語の入学案内と、つたない英語で僕に伝えようとしてくれました。でも僕は理解できなかったから、EDFカンボジアに『彼女の話を聞いてほしい』とお願いしました。あなたが見せてくれたのは、家から通える距離にある新しい看護学校の案内でした。あとは“お金”だけが課題だった。費用を確認して、金額にビビッて、少し冷や汗をかきながら、支援を再開することにしました。」

Linna:「2021〜2022年は、先生がもう奨学金をくれないと思っていたから働きました。それに、おばあちゃんの世話もしないといけませんでした。」

安田注記:ここにお互いの認識違いがあって、コミュニケーションの難しさを痛感。今となっては結果オーライですが・・・

安田:「奨学金を支援できたのは僕にとってもうれしいことだったけれど、全部が順調だったわけではありません。特に看護学校の学費は、僕の収入からすると大きな負担でした。カンボジアの人は「日本の収入=みんな裕福」と思うかもしれません。でも実際は、生活が厳しい人も多い。僕は小さな会社を経営していて、運よく平均より少し多く稼げているから支援できました。中高生の支援は頑張ればできたけれど、看護学校の支援は僕にとっても勇気が必要でした。でも、あなたの夢を途中で諦めさせたくなかったのです。
そして将来の話もしておきますね。僕は「あなたが看護師になる夢」を支援してきました。もうすぐ実現する。あなたが努力してきたからです。僕は頑張る人を応援するのが好きです。あなたはきっと看護師免許を取れる。その免許を取得した時点で、僕の金銭的な支援は一区切りにしようと思っています。あなたは看護師として働いて、自分で収入を得られるようになるから。
もちろん、迷惑でなければ、毎年会いに行きます。将来あなたが結婚することがあれば、EDFカンボジアのみんなと一緒に結婚パーティーにも行けたらうれしいです。それが次の楽しみです。」
※日本でいうとセクハラ?ですけど・・・お許しください

Linna:「先生と連絡できるようになってから、私は本当にうれしかったです。夢に近づけているって思えました。」

安田:「それはあなた自身の努力の結果だよ。僕がしたのは「機会(チャンス)」を渡しただけ。」

Linna:「看護学をさらに勉強するために大学に行きたいのですがサポートしてくれますか?」

安田:「残念ながら答えはNOです。私はあなたの「看護師になる」の夢を一緒においかけました。ゴールにたどり着いたらあなたへの支援は終了となります。冷たいと思うかもしれませんが許してください。そして、あなたは自分の夢を自分で追えるようになったと思います。看護師として働いて、お金をためて、勉強したければ大学に行けばいい。学費のことを考えるとなかなか高い壁だと思いますが、あなたはこれまで同じような壁をたくさん乗り越えてきた。だいじょうぶ。」

Linna:「わかりました。これからは自分でしっかり働いて収入を得て先にすすみます。もうあなたを悩ませたり困らせたりしません。夢に向かってたくさんのサポートをしてくださってありがとうございました。」

ちょっと冷たかったかもしれませんが、もう一人で歩めるはず。
そして私にはまだ2名の奨学生がいて将来学校の先生になりたいとか警察官になりたいとか夢を語っています。私自身がLinnaちゃんから卒業して、次の未来に目を向ける日がきているのかもしれません。2026年に会いにいって看護師証を見せてもらって一区切り。1年後が楽しみです。

洗濯と猫のPちゃん

リンナちゃんとのやりとりを終えて、洗濯。カンボジア滞在中の最終洗濯。何とか少ない着換えで乗り切りました。なんと、18日間滞在して、洗濯ものは今着ているものだけです!がんばった!ウタマロ石鹼が1つ丸々なくなりました。

洗濯を干していると猫のPちゃんが来ました。人間のPちゃんが買い置きしてくれた高級キャットフードを全投入。

遅めの朝ごはん

近くのローカルな市場のなかに潜入。そしていちばん、おいてある食材がカオスなお店を選びました。

残念ながら英語メニューがない。なのでお店に掲示している写真を指差して注文。

出てきたのはクイテウサイモアン(鶏肉の米麺)でした。さて、英語が通じないのは好都合。なぜならクメール語会話にチャレンジしたかったから。

「ソームタックロイ(お勘定お願いします)」

「※■▼?〇×・・・」(聞き取れない)

そうなんですよね。数字の回答がとっさに聞き取れないのです。なんどかやりとりをしているうちに

「ムオイムーンリエル(1万リエル。約2.5ドル)」といっていることがわかりました。修行が足りない。

再び猫のPちゃん

ホテルに戻るとまたまた猫のPちゃん登場。人間のPちゃんが買った高級エサはもう無いので安田が買った干し魚エサを投入。

「これじゃないにゃ!あのおいしいやつほしいんだにゃ!」

という猛アピール。でも無視して部屋の中に入ると、仕方がないと干し魚を食べるPちゃんなのでした。

荷造り開始

いよいよ荷造り開始。

左側の黒い大きなバッグにはすでにコーヒー豆が20キロずつ・・・それがコーヒー豆屋さんおまけしてくれたみたいで少し多め・・・

「やばいな」

どうしてかというと、無料の預け荷物は23キロが2つ。あとは手荷物のリュック。そこにどう配分するかが問題・・・本やおみやげのピーナッツも大量に買ったので完全に重量オーバー。リュックをパンパンにして・・・黒バッグは24.5キロ×2となりました・・・大目に見てくれるかドキドキ・・・

まったり

重量オーバーはもう心配してもしょうがないので、きれいに片付いた部屋でまったりだらだらしていました。ベッドに横たわり、行きの飛行機で読んでいた深夜特急の続きを読んだり、SNSチェックしたり・・・そして少し昼寝をしたり・・・

3時のおやつ

遅めの朝食からしばらくたってお腹がすいてきました。再び市場に行くことにしました。

こちら以前も登場しましたバーベキュー屋さん。指さしで注文。

今日のメニューは豚皮、カエル餃子、鶏もも、つくね、腸詰団子です。

生野菜もついています。付属のタレ(ドレッシング?)をかけてもりもりいただきました。

メコン川で乾杯!

夜7時。日本時間の夜9時。YouTubeで生配信しました。最終日に毎年行っている「メコン川で乾杯!」です。

今年の現地での活動報告と皆さんへの感謝の意を込めた「メコン川で乾杯」。今年のビールは少しほろ苦かったです。

何度かお伝えしていますが、やっぱりタイとの衝突で自転車を配り切れなかったこと、自転車修理クラブの設立も完了しなかったことが心残り。そしてFacebookではタイに攻撃された学校で逃げ惑う子どもたちの動画などが頻繁に流れてきます。

EDFカンボジアのチャンディさんからは破壊された学校の写真を見せてもらいました。学校の先生から送られてきたそうです。学校や女子寮、トイレなどの建設支援のプロジェクトもあって多くの方が支援して子どもたちの学ぶ場の充実を図ろうとしています。その積み重ねが爆弾1つでがれきの山にかわるのです。

やるせない。腹立たしい。悔しい。そんなところにライトアップされた美しい王宮をみて、思いがこみ上げてきて言葉につまりました。

今日のリバーサイドエリアは歩行者天国のお祭り騒ぎ。若い人たちのグループ、カップル、家族連れ、外国人観光客、様々な人たちがあふれていました。先日は同じ場所でタイに対する反戦デモが繰り広げられていました。

SNSには日本人の方から「特殊犯罪グループの潜伏しているところが無くなるまで爆撃を続けてほしい」という投稿がありました。あなたに言いたい。「そのためには巻き添えをくらう民間人・子どもたちが犠牲になってもいいのか?」、「あなたは『暴力団事務所があるから爆撃します』と言ってきたら隣のあの国が日本を攻撃してきても受け入れるのか。」
F16が攻撃したニュースのコメントではタイ人から「軍事施設だけ攻撃しているから大丈夫」という投稿がありました。何を根拠に言っているのか。子どもたちが逃げ惑う学校の地下に秘密基地でもあるというのか。
そして一部のカンボジアの人たち。AIで作った安っぽいCGを載せて現場の悲惨さを訴えないでほしい。本当の報道まで嘘っぽく思われてしまう。

そんなことが頭の中をずっとぐるぐるしているから、この土日は全然楽しくありませんでした。でも何ができるわけでもなく。今年の現地活動を締めくくるための無理やりの「メコン川で乾杯!」でした。来年は100%やりきったという気持ちで「メコン川で乾杯!」をリベンジしたい。

再びPちゃん。元気でね!

 だから、もう高級エサはないんだってば!!安田が買った干し魚エサを全投入。がんばって長生きしろよ!!来年も会えるといいな。

ジョンのトゥクトゥクで空港へ

夜9時にホテル前でピックアップしてもらい空港へ。ジョンとも今年はうまくいきませんでした。追いつめられると気難しくなって短気にもなる安田。ジョンはいつも通りなのにね。もっと言葉が通じたらいいなと強く感じました。もっとクメール語勉強しなくちゃね。

空港に到着。そしてサヨナラです。来年また会おうと誓って別れました。

ここまでのブログ、空港で飛行機を待つ時間に書きました。明日はいよいよ日本に帰ります。娘から「何時に帰るの?帰ったらお疲れ鍋パーティしよう!」と言ってくれました。はやく家族の顔がみたい!

本日のまとめ

今日は、何かを「成し遂げる日」ではなく、これまで積み重ねてきた時間を、静かに受け止める一日でした。

Linnaちゃんとの長いやりとりは、支援者と奨学生という関係を超えて、ひとつの人生の節目に立ち会っていることを強く感じさせてくれました。

お金を渡したのではなく、学ぶ「機会」を手渡し、そして今、その役目を終えようとしている――それは少し寂しく、でも誇らしい瞬間でもありました。

洗濯をし、食事をし、猫のPちゃんに餌をあげ、荷造りをして、だらだらと過ごす。

そんな何気ない時間の中で、この18日間の出来事が、少しずつ身体に染み込んでいくようでした。

夜のメコン川での乾杯。今年は、どうしても苦い味が残りました。

やり切れなかった支援、破壊された学校、逃げ惑う子どもたちの映像、簡単に放たれる無責任な言葉。

美しくライトアップされた王宮を前に、何もできない自分の無力さを突きつけられた気がしました。

それでも、だからこそ、来年があります。

悔しさも迷いも抱えたまま、それでも支援を続ける理由が、この旅ではっきりしました。

Linnaちゃんから卒業し、次の奨学生へ。

今年を一区切りにして、また次の10年へ。

カンボジアを離れる夜、娘からの「お疲れ鍋しよう」のメッセージに、ようやく心がほどけました。

支えてくださった皆さま、見守ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。

また来年、今度こそ胸を張って「メコン川で乾杯!」ができるように。

最後までご覧いただきありがとうございました

最後までご覧いただきありがとうございました。これで本日のブログを締めくくります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です