毎年お伝えしているご留意事項
今回のカンボジア訪問も、渡航費・滞在費はすべて安田の自費です。
皆さまからのご支援金は、自転車や修理クラブ用の工具・パーツ、寄贈セレモニー費用、返礼品準備、EDFカンボジアの活動費用など、プロジェクトの運営にのみ使用しています。
そのため、ブログに登場する「マラソン参加」、「友達の家訪問」や「夜の懇親会」などは、すべて安田の自費で行っております。
「俺らの支援金で遊んどるんちゃうやろな!?」
と心配したり怒ったりしないでください。
本日の活動内容
今日はいよいよ帰国です。飛行機を引き継いで日本へ。そしてコーヒー豆の輸入手続き。そして帰宅という流れです。本日のブログの最後にはこの滞在記のまとめをしたいと思っています。
いざ、日本へ
ジョンに空港に送ってもらいました。そしてジョンとサヨナラしたところまで昨日の訪問記に記載。フライトは0時過ぎなので本日の訪問記はここからスタートです。
昨日の訪問記にも記載しましたが懸念事項は荷物・・・1個23キロまでで計2つまでという制限の中、バッグは24.5キロ×2となりそれぞれ1.5キロずつオーバー。引っかかれば荷物を減らしてバックパックに入れたらいいのですが、そのバックパックもパンパン・・・
ドキドキしながらカウンターへ。荷物を1つ受付カウンターの荷台に乗せると25キロ・・・「あっ・・・やばい・・・」
ちなみに重さの誤差は安田の簡易重量計のせいだと思われます。いつもカンボジア来るときにもってきている重量計はこちらです。
結局は何も言われずに受け付けてくれました。2キロぐらいは誤差なのか・・・たまたま受付カウンターのかっこいいお兄さんがおおらかな人だったのか・・・もう1つもやはり25キロだったのですが受け付けてくれました。
そして出国手続きもスムーズにすませて、いざ搭乗口へ。
新空港、とってもきれいなのですが今どきの空港には必ずある充電ポートがどこにもない・・・充電難民がたくさんいらっしゃいました。安田はパソコンもスマホもホテルで充電してきたので大丈夫だったのですが・・・来年は改善されているでしょうか。

こちらはプノンペン→北京へのフライトでの機内食。牛肉がのったヌードル。機内食なので麺は伸びていますが気になったのはワックスでテカテカのみかん。なんか食品サンプルみたい・・・種アリだけどおいしかったです。

そして北京空港に到着。寒い!!!!そうそう、今は冬でした。常夏カンボジアからだと、いつもこの乗換のタイミングで風邪ひきそうになります。でも去年から秘密兵器を持っております。それはノースリーブの薄いダウン。たたむとコンパクトになりケースもついているので重宝しています。さっそく着てダウンのありがたさを感じました。乗り換え時間は短くすぐに搭乗。北京→関空です。この便にはたくさんの日本人が乗ってて日本語がたくさん聞こえてきて「いよいよ帰国だなぁ」と感慨深い気分に。

こちらが機内食。朝出発の便らしくおかゆがメニューにあったので注文。あたたかく優しい塩味でおいしかった!
そして関空に無事に到着。ここからまだ一仕事あります。それはコーヒーの生豆の輸入手続きです。カバンに40キロ入っています生豆の手続きが必要なんです。
毎年同じ手続きなので、詳しい手順を知りたい方は去年の訪問記の最終日をご覧ください。
今年はスムーズに行くといいなぁ・・・
税関の職員さんに説明。「手荷物でコーヒーの生豆40キロ持って帰ってきました。植物検疫は終わりました。今からボンド(保税倉庫)さんに荷物預けていったん外に出で食品輸入手続きに行きます。2時間ぐらいで帰ってきますのでそのとき税金払います。ボンドさんを呼んでもらえますか?」
「・・・・ちょっと待ってください。」
あぁ・・・またです。そんなにレアケースなんですかね。上司らしい人が出てきて、その人も要領を得ない・・・何度も手順をこちらから説明し、ボンドさんを呼んでもらいました。今年はボンドの職員さんはいい感じでした。で、脱出。
そして寒い中、バスに乗って関空内の合同庁舎に行き必要な手続き。そしてバスに乗って再び関空へ。今度は外から税関窓口に入れてもらわないといけないので端の方にある窓口へ。説明・・・
「・・・・ちょっと待ってください。」
またまた詳しく説明。何とか入れてもらってボンドさんから荷物を受け取り納税。いつもこのタイミングで「食品等輸入届出書」の原本をもらうと言われる。なぜ税関でそれが必要なのかが不明。しかも原本。「いつもコピーしてもらっています。原本を渡したら、私はこのコーヒー豆がきちんと輸入手続きを終えたものであることをどうやって示すのか?」
「じゃあ、コピーでいいです」
じゃあってなんやねん!!!って毎年ここでプリプリする安田。まぁまぁまぁまぁ、きっと来年も同じことを繰り返すんでしょうね。ここスムーズに行けたらもっと早く終わるのに。

で、帰国の報告をSNSに投稿してひとまず完了です。今年は自宅までタクシーで帰りました。いつも迎えに来てくれる家内は体調崩してダウン中。仕方がありません。
そして、家に無事帰宅したのでした。家族との約束、「安全に活動して、安全に帰ってくる」が果たせた瞬間。
「ただいま!!」
本日のまとめ
長かったカンボジア滞在も、今日で本当に終わりました。
空港での別れ、乗り継ぎの寒さ、日本語が聞こえてくる機内、そして毎年恒例のコーヒー豆の輸入手続き。ひとつひとつが「帰ってきた」という実感につながっていきました。
大きな達成感と、やり切れなかった悔しさを抱えたままの帰国ですが、無事に家へ戻り「ただいま」と言えたことが、何よりのゴールです。
支えてくださった皆さまに、心から感謝します。
カンボジア訪問のまとめ(2025年12月4日〜22日)
1.不安のない出発、いつも通りの12月(12月4日)

12月4日、日本を出発した時点では、今回のカンボジア訪問に特別な不安はありませんでした。例年と同じ12月、例年と同じ渡航、例年と同じ活動内容。自転車を届け、自転車修理クラブを回り、子どもたちに会う。そんな、これまで何度も繰り返してきた訪問の延長線上にある旅でした。
渡航費・滞在費はすべて自費。皆さまからのご支援金は、あくまで自転車や修理クラブ、返礼品、EDFカンボジアの活動費用など、プロジェクト運営にのみ使用する。その基本姿勢も、これまでと何ひとつ変えていません。
「今年も無事に活動を終え、日本に帰る」。そのシンプルな目標だけを胸に、特別な覚悟もなく飛行機に乗りました。今振り返ると、この「何も疑っていなかった出発」こそが、今回の訪問のスタート地点だったのだと思います。
2.8年ぶりのアンコールワットマラソン(12月7日)
12月7日、2017年以来8年ぶりにアンコールワット国際ハーフマラソンに参加しました。久しぶりのアンコールワットマラソン。楽しみにしていました。そしてカンボジア自転車プロジェクト10周年の記念行事として走っている様子を生ライブしたかったのです。

朝焼けの遺跡、沿道の声援、赤土を踏みしめる感覚。「またここに戻って来られた」という感謝だけを感じながら走っていました。この時点では、情勢が大きく変わろうとしていることを、私はまだ知りません。
結果的に、このマラソンは「何も知らなかった最後の時間」になりました。走り終えたあと、すぐに現実が押し寄せてくることを、想像もしていなかったのです。
ちなみに生ライブは携帯電波の影響で途中で切れてしまっていたようです・・・最後のゴールまでそれを知らずに配信し続け、ゴールした瞬間まで色々スマホカメラに向かってしゃべっていました・・・
3.8日の朝に知った現実——情勢悪化の報(12月8日)
タイとの衝突が激化したことを知ったのは、12月8日の朝でした。ニュースを見た瞬間、頭が真っ白になりました。家族を含めて日本からたくさんの「大丈夫なのか?」の声が届きました。鈍感な安田はそうした声でことの重大さが身に染みてくるのです。
「活動は続けられるのか」「今ここにいていいのか」「支援という行為は正しいのか」。次々と疑問が浮かび、不安が一気に押し寄せました。
それでも、現地にいる以上、活動は止まりません。誰かが代わりに判断してくれるわけでもありません。悩みながら、迷いながら、それでも前に進むしかありませんでした。大切なのは「安全が最優先」。チャンディさんたちと相談しながら「国境付近には近づかない。」、「状況が変わればスケジュールも柔軟に変える。」という方針で進めました。

この日を境に、今回の訪問は「いつも通りの12月」ではなくなりました。ここから先は、心のどこかで緊張を抱え続ける日々になります。
4.順調に見えた序盤——新しいエリアでの寄贈と設立(12月8日・9日)

12月8日、9日は、新しいエリア、スヴァイリン州での自転車寄贈セレモニーと、自転車修理クラブの新設が中心でした。

子どもたちの笑顔、協力的な先生方、滞りなく進む式典。その光景だけを見れば、「今年もいいスタートが切れた」と感じられる内容でした。
情勢不安を抱えつつも、現場はいつも通りで、活動は順調に進んでいるように見えました。今思えば、この「順調さ」があったからこそ、後半に直面する現実がより強く胸に残ることになったのだと思います。
5.伝える工夫——短いスピーチと国旗(活動途中から)

活動の途中から、自転車修理クラブでのパーツ補給の場に、私自身の短いスピーチを入れるようにしました。また、子どもたちに日本とカンボジアの国旗を持ってもらう工夫も始めました。
これは単なる演出ではありません。「誰から、どんな思いで、この支援が届いているのか」を、子どもたちや先生方に少しでも伝えたかったのです。
形式的にパーツを渡して終わるのではなく、「記憶に残る時間」にしたい。その思いから生まれた、小さな工夫でした。国旗を手に写真に写る子どもたちを見ながら、支援は「物」ではなく「関係」なのだと、改めて感じました。
6.支援が届いていなかった現実(12月15日・タケオ州、12月18日・シェムリアップ州)

12月15日、タケオ州の学校で、衝撃的な現実に直面します。これまで補給してきたパーツが、ほとんど使われていなかったのです。
このことは12月18日、シェムリアップ州でも起こりました。

「支援した=役に立っている」とは限らない。その当たり前の事実を、突きつけられました。
責める気持ちはありませんでした・・・と言えばうそになります。先生を責めたい。でもこちらにも非があるはず。改善すべきところがあるはず。
ただ、「届けただけで満足してはいけない」という重い課題を突きつけられた気がしました。
支援の仕組み、周知の方法、関わり方。そのすべてを色々と見直す必要があると、強く感じた出来事でした。
こちらの2校の自転車修理クラブは責任をもって支援を必要としている学校に移設いたします。
7.リンナちゃんとの対話——支援の節目に立つ

今回の滞在中、リンナちゃんとのやり取りは、私にとって非常に大きな意味を持つ時間でした。
「奨学金は先生個人のお金ですか?」「なぜ私を支援し続けてくれたのですか?」。彼女の問いは、まっすぐで、誠実で、そして重いものでした。
中学、高校、看護学校と9年間続けてきた個人支援。その負担や迷いも、正直に伝えました。そして、「看護師になる」という夢が叶った時点で、金銭的支援は一区切りにすることも。
冷たく聞こえたかもしれません。でも、もう彼女は一人で歩ける。そう確信できたからこその言葉でした。支援する側が「卒業」する瞬間でもありました。
8.行けなかった場所、残った空白

バンテアイミンチェイ州、プレアヴィヘア州、バッタンバン州は国境に近いから安全が確保できないという理由で訪問することができませんでした。
地図に残った空白を見るたびに、「そこにも子どもたちがいる」という思いが胸に刺さります。
安全を最優先した判断でしたが、「行けなかった」という事実は、簡単に割り切れるものではありませんでした。
支援とは、気持ちだけでは成り立たない。現実の制約の中で、何を選び、何を諦めるのか。その重さを突きつけられました。
バンテアイミンチェイ州は自転車100台の寄贈と2か所の自転車修理クラブの設立予定でした。12月中に活動可能であれば実施、無理であれば別のエリアで支援を行うことになっています。
プレアヴィヘア州、バッタンバン州は自転車修理クラブへのパーツ補給ですが安全が確保されればEDFカンボジアのメンバーが補給を行ってくれることになっています。
9.演じ続けた2週間と、最後の涙

滞在中、私はずっと「元気な安田」を演じていました。学校では明るく、冗談を言い、写真では笑う。でも内心は、不安と葛藤だらけでした。
最後の学校での記念写真で、「ムオイ(1)、ピー(2)、バイ(3)」の声を聞いた瞬間、涙があふれました。「もう終わる」「やるべきことはやった」。
演じ続けなくていい瞬間が、ようやく訪れたのだと思います。
10.苦さの残るメコン川での乾杯

最終日の「メコン川で乾杯!」。例年なら達成感に満ちた時間です。今年は違いました。
やり残したこと、届けきれなかった支援、壊された学校の写真。美しい王宮を前に、言葉を失いました。
それでも、この苦さを忘れないために、あえて乾杯しました。来年、胸を張って乾杯できるように。
11.帰国、そして次へ

12月22日、日本に帰国しました。「安全に行き、安全に帰る」という家族との約束を果たしました。だから点数をつけるとすれば合格点。
今回の訪問は、成功とも失敗とも言い切れません。ただ一つ言えるのは、「支援の意味」を深く考える時間だったということです。
来年は、もっと届く支援を。もっと現場に根ざした支援を。そう心に誓いました。
12.ともに歩んだ時間への感謝、そして2026年へ
今回のカンボジア訪問を振り返ると、支援内容や出来事以上に、「誰とこの時間をともに過ごしたか」が、強く心に残っています。

そして今回の訪問では、バンコクから駆けつけてくれたPちゃんが同行してくれました。慣れない環境、先の読めない日程、情勢の不安がある中で、同じ時間と空間を共有できたことは、私にとって大きな意味がありました。特別なことをしたわけではありませんが、同じ車に乗り、同じ景色を見て、同じ出来事を受け止める人がそばにいるというだけで、気持ちの持ちようは大きく変わります。現地で活動を続けるうえで、精神的な支えになっていたことは間違いありません。心から感謝しています。

また、吉川さんにも深く感謝を伝えたいと思います。同行していただいた数日間は、決して楽な行程ではありませんでしたが、同じ現場を見て、同じ空気を吸い、同じ時間を過ごせたことが、今回の訪問をより立体的なものにしてくれました。移動中の会話、沈黙、夜の一杯。その一つひとつが、この旅の大切な一部です。一人ではない時間があったことに、改めて感謝しています。

まずは、滞在中ほぼ毎日のように姿を見せてくれた猫のPちゃん。名前を呼んでも返事をするわけでもなく、こちらの都合を気にするでもなく、ただニャーニャーにぎやかにそこにいる存在でした。活動で気持ちが張りつめて部屋に戻ったとき、階段のあたりで待っていたり、足元をうろうろしていたりするその姿に、何度も心を緩めてもらいました。何も語らず、何も求めず・・・いやエサ以外は何も求めず、それでも確かに支えになってくれた存在です。無事に生き延びて、来年また元気な姿を見せてくれることを願っています。
そして、この長い訪問記を最後まで読み続けてくださった皆さん、本当にありがとうございます。日々の活動報告だけでなく、迷いや葛藤、うまくいかなかったことまで含めて書いてきました。それでも読み続けてくださる方がいるという事実が、現地での大きな励みになっていました。
2025年のカンボジア自転車プロジェクトは、すべてが予定通りに進んだわけではありません。届けきれなかった支援、やり切れなかった思いも残っています。それでも、皆さん一人ひとりのご協力・ご支援によって、子どもたちの生活の中に「通学の自由」や「学ぶ機会」を確かに残すことができました。この事実だけは揺るぎません。
2026年のプロジェクトも、すでに静かに動き始めています。今年見えた課題を正面から受け止め、より現場に根ざした支援を目指して、またカンボジアに向かいます。完璧ではなくても、誠実に、驕らず、続けていくこと。その姿勢だけは変えずに進みます。
引き続き、2026年のカンボジア自転車プロジェクトも、どうぞよろしくお願いいたします。
最後までご覧いただきありがとうございました
最後までご覧いただきありがとうございました。これで本日のブログを締めくくります。