カンボジア訪問記2024 11日目 2024/12/18 現地活動完了!!

皆さん、こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。今日は12月18日。現地活動の9日目となります。いよいよ安田にとっての現地活動の最終日です。残りの自転車修理クラブのパーツ補給はEDFカンボジアが後日行ってくれることになっています。
今日も自転車寄贈セレモニーと自転車クラブ設立、そして生徒の家庭訪問と内容が目白押し!がんばります!!

ここでいつものご留意事項が1つ。毎年のことなのですがこのカンボジア訪問は渡航費用・滞在費は安田の完全自費で行っております。
皆様からご協力いただいたご支援金は自転車や修理クラブ用の工具や交換パーツの購入、寄贈セレモニー等の実施費用、クラウドファンディング手数料と返礼品などの準備・発送にかかる活動運営費などに使用させて頂いております。
だから、プロジェクトから脱線した活動をしているときは安田自腹ということで、『おいらたちの金で何遊んどるねん!』って怒らないでください。よろしくお願いします。

今日のスケジュールと訪問場所

日付 学校 内容
2024/12/18 SNAM PREAH 自転車クラブ設立 ポーサット BAKAN
KRAVANH 自転車寄贈セレモニー KRAVANH
KAM PENG 自転車クラブ設立
生徒3名の家庭訪問  

今日の訪問場所は昨日に引き続きポーサットです。まず昨日時間切れで行けなかった自転車クラブの設立を行います。その後、KRAVANH郡に移動して、自転車を寄贈。そして自転車クラブを設立。生徒さん3名の家庭訪問を行います。それが終わりまたらプノンペンに向かって帰路につきます。

朝ごはん

こちら、ホテルのバルコニーからの景色。今日もいい天気。何事もなく無事に活動できますように。

こちら、ノンバンチョックっていうそうめん。カンボジアのローカルフードです。スープはプラホックっていうカンボジア独特の魚醤。生野菜をちぎって中に入れて食べます。温いような冷たいような。朝は熱々スープで目を覚ましたい安田はやっぱりクイテウ(米麺)の方が好みです(#^^#)

ポーサット州BAKAN郡での活動

自転車修理クラブの設立

学校に到着しました!!

こちらが今回寄贈される自転車修理の工具と交換用部品です。工具箱には注意書きのプレートが張り付けられています。

そのプレートを先生と生徒たちに見てもらいながらヴィリャックさんが自転車修理クラブの運営の注意書きを説明しています。

そして、ありがとうメッセージビデオの撮影。

次は自転車修理大会です。彼が率先して自転車修理について説明しています。といいますのも、彼のお父さんは自転車屋さんなんだとか。

というわけで、彼を自転車修理クラブの部長さんに任命!!

それでは、うれしそうな子どもたちの笑顔の写真をどうぞ!!

ポーサット州KRAVANH郡での活動

昨日の積み残しの行程を終えて、本来のスタート地点へ。KRABANH郡に移動してきました。

まずは自転車セレモニー

学校に到着しました。まずはセレモニーの前にみんなでやることがあります。

それは自転車のカゴにプレートを取り付ける作業。先生が生徒たちにプレートを配りカゴに取り付けていきます。数枚その作業の様子の写真をどうぞ。

作業が終わりましたらセレモニーのスタートです。今回もYouTubeライブで配信することができました。

安田のクメール語スピーチも6回目にして最終回です。

「首から何か下げてないか?」

はい。セミナー講師が本業の安田のセミナー7つ道具の1つです。ハンドマイクを首から下げる道具です。

セレモニーの最後に50人の生徒たちと50台の自転車と先生方が集まって記念撮影することになりました。爽快な景色!!

次は個別写真の撮影です。デビットさん、いつも通りのハイテンションで子供たちを笑顔にしてくれます。安田は横に座って番号に抜けが無いかチェック。

その番号チェックも今回で終わりです。

ボロボロになったチェックシート。一番うえのピンク色ゾーンはPちゃんがチェックしてくれました。2段目の水色ゾーンは吉川さんがチェックしてくれました。その下から安田です。134と153の欄に〇がついていません。病欠した生徒さんのもの。後日先生が写真を撮って送ってくれることになっています。

では、自転車をもらってうれしそうな子どもたちの笑顔の写真をどうぞ。

次は自転車クラブの設立!!

セレモニーが終わって自転車修理クラブを設立する学校まで移動してきました。今年6個目。最後の自転車修理クラブの設立です。

こちらが自転車修理クラブ用の工具や交換用部品たちです。これで何台もの自転車が復活していきます。

ヴィリャックさんが自転車修理クラブの運営の注意書きを説明しています。もう何回目でしょうか。しっかり活用してもらえるようにきちんと説明します。

そして、ありがとうメッセージビデオの撮影。

修理大会の開始です。

この左の彼もお父さんが自転車屋さんなんだとか。

パンク修理やタイヤ交換の手順などを説明してくれました。もちろん、彼が自転車修理クラブの部長さんに任命されました!!

では、うれしそうな子どもたちの笑顔の写真をどうぞ!

生徒さんたちの家庭訪問!!!

最後は3人の生徒さんの家庭訪問です。

ペッ・ダニンちゃん

最初はすごく快活で笑顔が素敵なダニンちゃん。最初はクメール語で名前や年齢を確認します。安田のクメール語力はここまでなので、次は英語にチャレンジ。結構ダニンちゃん話せますが、「私は英語があまり得意じゃないんです」って英語で言うから、「しゃべってるやん!」って突っ込みを入れたらみんなで大爆笑。上の写真はその瞬間の写真です。
彼女はクラスで1位の成績でクラスの級長さん。少し厳しくやりすぎて他の生徒さんからあまり好かれていないのが悩みなんだとか。しっかりさんなんですね。でも笑顔が素敵すぎるから大丈夫。7人兄弟で一番上の姉は34歳。結婚してプノンペンに住んでるとのこと。その下のお姉さんは働きながら大学に通う苦学生。他の息子たちは小学校を卒業できず働いているのだとか。
そんな彼女は絵を描くのが大好き。将来はそうした仕事をしたいとのこと。デザイナーや設計士など色々な仕事がありそうですねって伝えました。

タン・ハン・キィーンくん

次はキーン君です。一番左は22歳のお兄さん。高校生なのですが、家庭を助けるために働いているのでなかなか卒業できません。お父さんはいなくて、お母さんは糖尿病と脳に疾患をお持ちで働けないとのこと。このお兄さんが大黒柱なわけです。
学校までは5キロぐらいの距離で、これまでは友達の自転車に乗せてもらって一緒に通学していたのだとか。これからは自分の自転車で通学できます。
将来はミリタリー(軍)の職員になりたいんだとか。好きな教科は数学。勉強がんばって、お兄さんとお母さんを助けてくださいと伝えてお別れしました。

マン・ミャンくん

最後はミャン君。17歳で中学3年生。学校が楽しく、友達がたくさんいるのだとか。クメール語と数学が好きで成績はまんなかぐらい。右奥に座っているのがお父さんですが、定職はなく仕事があるときに建設現場などで働いているのだとか。ミャン君には弟が2人いて、一番下は6年生。その上は出家していまは僧侶なのだそうです。彼もキィーン君と同じく軍の職人になりたいんだそうです。自転車でしっかり学校に通って勉強して家族も助けてあげてください!!

昼ごはん

キャラバン隊の活動はこれで終わり。お昼ごはんを食べに行きました。

生野菜のサラダ。

卵焼き。

魚のすっぱいスープ。

鶏肉とカリカリの炒め物。

プノンペンに向けて!

さぁ、ポーサットからプノンペンに向けて帰ります!!3~4時間かかりそう。車の中で・・・

そう、車に揺られながらこのブログを書いています。車酔いを心配しましたが大丈夫。というのも、プノンペンについたら打ち上げあるし、洗濯したいし、今晩からの番外旅の準備もあるし・・・目白押し。ゴールは23時発のシェムリアップ行き長距離バスに乗ること。バタバタですががんばります。どうなることやら。

打ち上げ

12月10日から始まった安田の現地活動。今日18日に無事終わりました。まだパーツ補給が数カ所残っていますが、それは今年中にEDFカンボジアのメンバーが行ってくれることになっています。プノンペンにもどってトンレサップ川沿いの素敵な眺望のレストランで打ち上げです。

ピーナッツ。

牛肉焼いたん。

チンゲン菜みたいな炒め物。

これが一番新しい。生魚のマリネ。もちろん食べました。カンボジアで生魚食べたの初めて。またお腹壊したらリンナちゃんのところに薬もらいに行きます。でもとっても新鮮でおいしかったです!!

エビをカリカリに揚げたもの。

いつのまにか夜になっていました。チャンディさん、ヴィリャックさん、デビットさんと本当に色々な話をしました。でもいつも終着点は子供たちの教育について。
安田はたくさんの笑顔のシャワーをあびて2025年を走りきるエネルギーを得ました。それはEDFカンボジアの皆さんも同じこと。未来のカンボジアを担う仕事。その仕事に誇りをもってこれからもずっと一緒に活動できればと願っています。

最後に

旅のまとめは今日しません。・・・というかできません。明日19日から最終日23日まで安田はしっかりバカンスします。カンボジア旅にはめずらしく初日の8日から今日18日まで休みなしの11日間でした。明日からはしっかり番外編で遊びます。
まず、今晩深夜から長距離バスにのってシェムリアップに。数日前にシェムリアップにいたのですが・・・クメール語の勉強のお世話になった日本語ガイドさんにがっつりアンコールワットをガイドしてもらう予定です。
そのあとは・・・ジョンの実家に遊びに行きます。
帰ってきたら、チャンディさんのお子さんの結婚式パーティに出席します。
そしてそのまま空港に行って帰国です。
こんなにタイトなスケジュール史上初かも・・・

というわけで慌ただしく今日のご報告を締めくくります。

番外編ももちろんブログに書きますのでお楽しみに~!!

カンボジア訪問記2024 12日目 2024/12/19 やっと会えた!クメール語の先生

皆さん、こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。今日は12月19日。安田が同行する自転車プロジェクトの現地活動は昨日までで終わりました。残りの自転車修理クラブのパーツ補給はEDFカンボジアが後日行ってくれることになっています。今日から番外編をお伝えします。

ここでいつものご留意事項が1つ。毎年のことなのですがこのカンボジア訪問は渡航費用・滞在費は安田の完全自費で行っております。
皆様からご協力いただいたご支援金は自転車や修理クラブ用の工具や交換パーツの購入、寄贈セレモニー等の実施費用、クラウドファンディング手数料と返礼品などの準備・発送にかかる活動運営費などに使用させて頂いております。
だから、プロジェクトから脱線した活動をしているときは安田自腹ということで、『おいらたちの金で何遊んどるねん!』って怒らないでください。よろしくお願いします。

まずは昨日の夜から

前日の18日、EDFカンボジアの面々とお別れしました後からブログはスタートします。

ホテルに戻りましたらチマオがいました。留守の間、元気にしていたみたいです。エサタイム。

そして、ギリギリでしのいでいた衣類の洗濯を済ませました。

そのあとは長距離バス乗り場までジョンに連れていってもらいます。その途中でちょっと一杯。

牛肉たれ焼き。

かえる。

牛肉のホルモン焼き。

深夜長距離バスでシェムリアップへ!

夜11時出発(シェムリアップ到着は翌5時)の長距離バスです。ガイドさんのおすすめでLarryta Expressという会社にしました。

受付でバスチケットを見せて確認。

そしてこれが今回の安田の席。フルフラット。ちなみに安田の身長は168cm。ギリギリですけど足完全に伸ばせました。装備品は枕、薄手の毛布、水、歯ブラシでした。

寝てみました~。EDFカンボジアのメンバーとの1次会、ジョンとの2次会でビールたくさん飲んだのでバスが出発後はすぐ寝落ち。ブザーで目を覚ますとそこはもうシェムリアップでした。

やっと会えたガイドさん!

「やっと」といいましてもバス停で迷ったわけではありません。その訳を説明します。

今回お願いしたガイドさんはKAMPU JHCという会社です。こちらの会社、日本語ガイドの会社なのですがコロナ期に観光客が来なくなりました。存続のためにスタートしたのが日本人向けのクメール語講座です。YouTubeチャンネルもあります。

「日本語ガイドのおもしろクメール語講座」

クメール語を学びたいと思ってネットで色々検索しているときに見つけました。先生たちはとっても陽気でおもしろかったのでチャンネル登録。

そして今年、子供たちの前でクメール語スピーチをするためにこちらの会社にオンライン講座を申し込んだのでした。クメール語スピーチはこちらの先生方のおかげで大成功。今回の旅で1日だけ空白がありましたので長距離バスの往復という弾丸ツアーで、先生方の本来のお仕事である日本語ガイドをお願いしたのでした。

ガイドのピーナー先生

こちらが本日ガイドをしてくれますピーナーさん。安田にとってはクメール語の先生でもあるので、「ピーナー先生」とお呼びしていました。YouTubeチャンネルでは「タコ焼き大好き」と自己紹介されています。大阪人の安田の血が騒ぐ。いつか大阪でたこ焼きごちそうさせてください。

アンコールワットの日の出

アンコールワットの入場料(1日券)はオンラインで購入済みなので、チケットセンターには寄らず早速観光スタート。最初はアンコールワットの日の出です。

真っ暗だったんですが少しずつ夜が明けてきました。

この夜の紺色と朝のオレンジ色のコントラスト大好きです。そしていつも思い出すのが「かたわれ時」、そう映画「君の名は」です。ピーナー先生に映画のことなど話しながら時間は過ぎていきました。

池に写る逆さアンコールワットの写真が有名ですが、いま、左側の池は修復工事中。右側の池だと逆さアンコールワットが撮れますが朝日とだいぶ離れた位置になります。

ピーナー先生は「おすすめは左の池でアンコールワット近くから登る朝日を見たあと、ゆっくり右の池に移動すればいい」ということでした。というわけで上の写真は左の池の前で撮っています。

こちら、日の出をカメラに収めようと集まった観光客。

その後、右の池に移動してきてアンコールワットを背景に記念撮影。はい。こちらの写真、上下逆です。でもアンコールワットは写っている・・・池に反射したアンコールワットを上側にして載せてみました。     

朝食

こちらの食堂兼おみやげ売り場で朝食。先生は「観光客向けのしっかりレストランとローカルな食堂どっちがいいですか?」と聞いてくださいましたが、もちろん「ローカルで。朝はクイテウが食べたいです。」とお願いしました。

こちら、いつものクイテウサイチュルーク。揚げパン付きです。お会計のときの表現などクメール語も色々教わりました。

アンコールトムの見学

南大門

アンコールトムの南大門に移動してきました。

アンコールトムは1辺約3kmの城壁に囲まれた王都です。門が5つあってこちらが南大門。他に西大門、北大門、勝利の門、死者の門があります。南大門は正面原版にあたります。勝利の門は戦争に行くとき、勝利して帰ってきたときに使う門。そして死者の門は戦争で亡くなった人たちを運び入れるための門です。死者が通るということで不吉だからカンボジア人は今でも通りたがらないんだとか。

橋の欄干はヒンドゥー教のお話「乳海攪拌」がモチーフになっています。不老不死の薬を手に入れようと神様と鬼(アスラ)が長い蛇(ナーガ)の両方をもって海をかき回すという話。こちらはアスラ側です。写真左にナーガの頭部が写っています。

損傷がはげしく少しずつ修復が進んでいます。一番手前が修復後のアスラ。奥が修復前のアスラです。

こちらは欄干の反対側。神様側です。さて、アスラ側にも写っていたナーガの頭部がこちらにも。1匹の蛇だったら片方はしっぽのはずです。アンコールワットの回廊のレリーフにもこの物語は彫刻されていまして、そちらは片方はしっぽになっています。でも橋の欄干。デザイン性を考えて両方を頭にしたのだとか。確かにその方がかっこいいですもんね!!

こちらも修復前後の神様の像をどうぞ。

さて、こちらの写真、見たことある人多いと思います。南大門。門の上部には4方向に渡って観世音菩薩が彫刻されています。アンコールワットはもともとヒンドゥ教の寺院で12世紀初頭に作られました。こちらのアンコールトムはそれから数十年経った12月末、ジャヤバルマン7世によって建てられました。とても力をもった王様で、クメール王国の宗教を仏教(日本と同じ大乗仏教)に改宗を図ります。だから観世音菩薩。でも強引に進めすぎると民衆が戸惑い反感を買うかもしれないということで観世音菩薩の下部には小さなヒンドゥ教の神様も彫刻されています。ちょうど過渡期にあたる彫刻ということになります。

4面に彫刻を入れたのは東西南北、すなわち世界中を見渡し、世界の平和への祈りを込めているといわれています。

こちら、南大門の裏側です。観世音菩薩の下に小さな神様が見えると思います。それがヒンドゥ教の神様です。

上記の情報、すべてピーナー先生が教えてくれたことで情報量が豊富。安田はメモをたくさん取りました。そのメモをもとに書いています。

バイヨン

次はアンコールトムの中心地「バイヨン」に移動してきました。

アンコールトムの中心にあるバイヨンは当時の宇宙観が込められていてメール山(須弥山)を象徴しています。前述の通り、ジャヤバルマン7世は大乗仏教に帰依していました。ヒンドゥ教の宇宙観を表したアンコールワットからこちらに都を移してくる際に、アンコールトムでも宇宙観を表現する必要がありました。でも宗教が異なるので違った宇宙観で表現されているわけです。

入口付近の涅槃像。

たくさんのアプサラ(踊り子)たち。

アプサラだけでなくデヴァター(女神)像もたくさん見ることができます。 

仏陀像。

一番の中心地、中央祠堂は2020年から修復工事が始まって今は立ち入り禁止。

たくさんの塔からなるバイヨン。ジャヤバルマン7世は当初54の塔を作りたかったそうです。9の倍数はとても縁起の良い数字とされていました。49棟まで作ったのですが残りは5つの門を塔の形にすることで合計54としました。ちなみに54という数字は当時のクメール帝国の州の数だそうです。国の平和を願ってその数にそろえたのでしょうか。

こちら、大乗仏教の寺院なのにヒンドゥ教の神の彫刻があります。ジャヤバルマン7世はヒンドゥ教から大乗仏教に改宗を進めたのですが、その後、次の王様がまたヒンドゥ教に戻したのです。だから彫刻されていた菩薩像などのレリーフをはがしとってヒンドゥ教の神を新たに彫刻しました。少しスペースがせまくて足の組み方などに無理があります。

塔がいたるところにあって一人で回っていたら絶対迷子になっていました。ピーナー先生は頭のなかに順路が入っているらしく効率よく見て回る道を案内してくれました。

こちら、12世紀に造られたお釈迦様像。蛇も仏教徒になりたいと願ったのですが叶わず。そこでお釈迦様を守ることに徹することにしました。

実はこの蛇の部分、一度盗まれたのか切断されてしまいました。その後修復されたようです。

バイヨン第一回廊南東の東側

ここから壁画のスタート。

こちら、チャンパ軍と戦いに行くクメール軍の行進の様子です。偉い人は象に乗って。槍などの武器を携えています。

なぜ「クメール軍」とわかるかといいますと、耳たぶが長いからです。この頃のカンボジアの人たちは生まれたころから重いピアスをする習慣があって、その重みのせいで耳たぶが下に垂れ下がっているのです。壁画をみて「これは何人?」と思った時、耳が長ければクメール人。ひげを生やしていれば中国人など。ピーナー先生が教えてくれました。

旗を掲げている人や銅鑼を持っている人もいます。とても勇ましく迫力のある行進です。

 

こちら耳が長くありません。そしてひげが生えている。そう、中国人です。クメール軍の中には中国人も混じっていたのです。

こちらから行進の後半部分。実は行進するのは兵隊だけではありません。戦争に勝つとその土地を占領して暮らし始めます。だから家族も総出で様々な物資を運びながら行進を共にしました。写真中央は子供を肩車する姿も現されています。

こちら何をしている様子でしょうか?当時の様子に思いをはせて想像力を働かせます。

ペット(家畜)のイノシシです。

こちらは樹に上って木の実を取っているところ。鳥の姿もあります。捕まえようとしているのでしょうか。

左側の二人組。左の人は背中に捕まえた鳥を背負っています。右の人は弓矢を構えています。もう1羽捕まえようとしているようです。

よく狙ってね。

こちら、左の女性が右手に持っている四角い物体。こちら亀です。食べるのか、ペットなのか。面白いのは右側の男性(兵士)の右手に亀が嚙みついていて「痛いな!!」って後ろを向いている瞬間の姿なのです。

少し場面が変わります。クメール人の兵士たちが何やら槍をもって左側に向かっています。槍を構えている人もいますが、まだ戦争は始まっていません。

たくさんいます。どうしたのでしょうか・・・

答えに近づいてきました。

答えはこれ。実は水牛に槍を刺しているのです。ヒンドゥ教の信仰で、水牛の血を混ぜたお酒を飲むと戦争に勝てると信じられていました。だから水牛が生贄になっている様子です。目を大きく見開いた牛さん。悲しげな表情でかわいそうです。

こちらはまた場面がかわりました。上下に分かれていますが、上の段は女性向けの学校の様子。下の段は中国人向けの学校の様子です。当時、クメール人の男性向けの学校は珍しくなかったのですが、この当時に女性向け、外国人向けに新しく設けられたためレリーフに残されています。

中国人の学校の一番右端。生徒が居眠りしている様子。

この人は先生に質問しているのでしょうか?それにしてもとっても賑やかで楽しそうです。

次は食べ物を調理している様子です。お鍋に鳥を入れるところ。ひげを生やしているので中国人。これは中国人の宴会をしているシーンとのことです。

宴会といえばビール!ってつい思ってしまうのですが当時のお酒はどんなお酒だったのでしょうか?

こちらはアプサラのダンスショーを観劇するクメールの兵士たちです。

踊ったり、楽器を弾いたり楽しそうなシーンです。

バイヨン第一回廊南東の西側

さて、こちらのお方、ジャヤバルマン7世の後妻になる方、インドラデーヴィー。ちなみに前妻のお姉さんです。こちらの方は留学をして外国の最先端の考え方などを学び、前述の女性や外国人のための学校を作るなど教育に尽力しました。ジャヤバルマン7世が広めようとした仏教も深く学んだようです。

こちらはジャヤバルマン7世の最初の奥様ジャヤラージャデーヴィー。そう前の写真の方の妹にあたります。ジャヤバルマン7世が戦争で死んでしまう夢を見て、そうならないよう願いを込めて1週間の断食を行います。ジャヤバルマン7世は無事だったのですが、この奥様はその断食が原因で亡くなってしまいます。そしてその直前、姉に後のことを任せたわけです。

さて、ここからはクメール軍とチャンパ軍の水上での戦闘の様子と狩りをしたり魚を焼いたり、闘鶏を楽しむ人たちのレリーフが始まります。

下段の生活の様子

まずは出陣前の娯楽から。こちらクメール軍の兵士たちがサーカスをみて楽しんでいる様子です。

下段のレリーフは生活感たっぷり。こちらの写真は火をおこしているところ。右の人はカゴを押さえていますが中に鳥か何か捕まえているのでしょうか。

こちらは木に挟んで魚を焼いている様子です。このように木に挟んで魚を焼くスタイルは今でも市場でよく見かけることができます。

獣に追い立てられ木に登って逃げる人。

鹿か何かを弓で狙っている人。背後からは別の獣がその人に襲い掛かろうとしています。

こちらは何をしている様子でしょうか?お互い向き合って何かをしています。

こちらは横たわっている女性と獣?の姿が見えます。

そしてこちらなんとナンパしているところだとか。右側の男性が交際を申し込み、左側の女性がOKのサインで手を差し出している様子です。

こちらは闘鶏をしている様子です。カンボジアでは鳥や犬、虫など様々なものを戦わせる文化がありますが、それはなんだか日本と同じように思います。

再びナンパのシーンだそうで。後ろから髭をはやした中国人がなんだか茶化しているような様子です。

こちらは犬(イノシシ?)を戦わせているところ。

この無数の穴はなんでしょうか。。。。はい。悲しいかな、ポルポト政権期、クメールルージュの兵士が銃の練習の標的にした痕です。こうした痕が色々なところで見られます。

上段のクメール軍とチャンパ軍の戦いの様子

クメール軍とチャンパ軍の水上戦の様子です。こちらは耳が長いからクメール軍。向かって左側で右から迫るチャンパ軍に向き合っている形です。船の下には魚や亀、ワニなどが緻密に彫り込まれています。その下部には鳥や鹿、人たちの姿も。下段と上段のレリーフが入り混じっています。

こちらがチャンパ軍。鎧を着て頭には兜をかぶっています。とても強そう!!

こちらが激突の場面。敗れた人が船から落ちています。その下にはワニが待ち構えています。

何段にも描かれた戦闘のシーン。チャンパ軍との戦いがジャヤバルマン7世にとってとても大きな意味を持っていたことがわかります。
クメール軍の武器や槍以外に弓もあったようです。兵士以外に頭だけですが船の漕ぎ手でしょうか。たくさんのクメール人たちが力を合わせて戦っています。 

チャンパ軍が激しく攻めてきます・・・あれっ?その足元の頭だけの人たち・・・クメール人です。チャンパ軍の船にクメール人が乗っている。

そう、クメール人は泳いでチャンパ軍の船に乗り込もうとしているのです。

戦闘は水上だけでなく陸地でも行われています。

戦闘を終えてのパーティ

戦闘が終わりました。勝利を祝うパーティが繰り広げられます。こちらは魚や獣を焼いている様子。頭の上にのせているのは生ビールジョッキ?いやいや、そんなはずは。なんでしょうか?

みんなで色々な料理を作っているようです。見ているだけでお腹がすいてきます。

上段のレリーフでは宴の様子が描かれています。皆おのおの向き合って食事をしています。

どんどん食べ物や飲み物が運び込まれていきます。

最後は大工や石工のお仕事の様子

こちらは大工や石工の働く様子だと言われています。そう、このバイヨンはほとんどが砂岩でできているのですが、切り出された石はとっても大きくて重い。石工は木の棒を通して皆で運ぶなど工夫したようです。

 タ・プロームの見学

タ・プロームに移動してきました。「タ・プローム」という言葉は聞いたことがある人が多いかもしれません。アンコール遺跡群を1日で回ろうとした際に必ずアンコールワット、アンコールトムと並んで観光コースに組み込まれる遺跡です。なぜならば・・・もちろん人気があるから・・・なんで?はい。2001年に制作された映画「トゥーム・レイダー」のロケ地になったことで有名だからです。そして、日本人にとってはもう1つ有名になった理由があります。それは後ほど。

入口は観世音菩薩がお出迎えしてくれます。

「なんだか、アンコールトムの南大門にににている・・・」

と、思った方。鋭い。アンコールトムはジャヤバルマン7世が建てた巨大仏教寺院ですが、こちらのタ・プロームはそのジャヤバルマン7世が母チューターマニのために建立した寺院なのです。ジャヤバルマン7世の時代は大乗仏教ですから、もちろんタ・プロームも大乗仏教寺院なわけです。

アンコールトムに比べると広さは及ばないのですが、それでも巨大な寺院であることに変わりはありません。

こちらの2種類の岩についてガイドのピーナー先生が教えてくれました。左側が砂岩。右側がラテライトです。ラテライトはたくさん採れるのですが、硬くて彫刻などの加工が難しく、また無数の穴が開いています。硬いから土台部分などに用いられ装飾部分は砂岩にするなど使い分けられたようです。

いっぱい崩れています。損傷が激しくて、色々なところで修復作業が行われています。修復はインドの支援によって行われています。ただ、タ・プロームはこの崩れている様子がある意味人気なので、どこまで修復したものか議論が交わされているようです。

その、タ・プロームを今も破壊し続けている犯人がこちら。ガジュマルの木々です。

ガジュマルの多くはなんと寺院の屋根から生えています。その理由は鳥のフン。種を食べた鳥が屋根でフンをする。フンの栄養もあって、カンボジアの豊富な水もあって発芽し何百年もの歳月を経て屋根の上の大木になるわけです。もちろん根は地面をもとめて下ります。隙間があれば入り込み、そして根はやがて太くなり寺院を破壊していくわけです。

これを修復するっていったいどうやるのでしょうか?ガジュマルの木を切り、根を取り除き、バラバラになったブロックのそれぞれの位置を同定し積み上げていく・・・気が遠くなります。

「なんだか・・・ラピュタみたい」

そう。前述した日本人にとって人気の秘密は「トゥームレイダー」もそうですが、「天空の城ラピュタ」を思い出させる遺跡としても人気があるのです。

ラピュタの話をピーナー先生から聞いたときに少しジブリ映画について雑談しました。ピーナー先生もジブリ映画が大好き。もちろん日本語がペラペラなので字幕も無しで見られます。
安田はラピュタに関しての雑学をお話ししました。
日本には金曜ロードショーといってテレビで映画をやる時間帯があって、ときどきジブリ映画も放送されます。とくにラピュタが放送されるときはみんなが楽しみにしている瞬間があります。それは主人公のシータとパズーが最後に唱える破壊の呪文「バルス」。それが唱えられる瞬間、皆がX(Twitter)で「バルス」と投稿するいわゆる「バルス祭り」があるということ。それで2011年にはTwitterのサーバーが落ちてしまったことがあります。
ピーナー先生、是非とも次回のガイドから「バルス祭り」のこと触れてくださいね(#^^#)

ちなみにタ・プロームには木の根にのみこまれてしまい、隙間から顔だけのぞく仏像があり、撮影スポットとしても有名。いろいろなガイドブックにも掲載されています。しかし、その木は倒れてしまっており今は見ることができないとのことでした。
時が止まっているかのように見える遺跡であっても刻々と状態は変化していきます。「いつか見たい」と思っている遺跡が明日もその状態であるとは限らないのです。

ちなみに崩れてしまったがれきですが、それぞれのブロックの位置の同定。最近はAIが活用されているとのことです。こうしたところでもAIが活躍しているなんて、なんだかびっくりです。

こちらの仏像。頭がなくなっています。実はこのあたりは一時期タイの領土になってしまいました。シハヌーク殿下の時代にフランスの力を借りてカンボジアに返してもらったのですが、タイが引き上げるときに持って帰られるものを持って帰ろうとして仏頭のみを持って帰ったんだとか。

タ・プロームの中にはその当時にはぎ取られたとみられる部分がたくさんあります。

ここのくぼみ。なんだと思いますか?ここの中に入って自分の胸を叩くとすごく響くんです。胸以外のところを叩いても響かない。安田も試しました。響くんですが、くぼみの外で聞いている人には響いて聞こえない。すごく不思議な場所です。

ピーナー先生いわく、秘密や問題を抱えている人がこの場所を訪れて自分の胸を叩き、それが無事におさまるように祈った(占った?)場所なんだとか。だから秘密が無い人は響かないそうです。ピーナー先生の13年のガイド歴のなかで響かなかった人は一人だけ。その人は数年後に再度ここを訪れてもう一度試したのですがやっぱり響かなかったそうです。

安田は・・・大きく響きまくり・・・ピーナー先生から「奥さんに言えない秘密がありますか?」と意地悪な質問をされました。そんなのあるわけが・・・。

こちら、壁に無数の穴が開いています。研究では建立当時、この穴にそれぞれ宝石が埋め込まれていたそうです。

この穴全部に宝石・・・とするとすごいきらびやかだったに違いありません。ちなみにすでに全穴をくまなく調査済みでもう宝石は1つも残っていないそうです。

ちなみにこのタ・プロームはジャヤバルマン7世が母親のために作ったと言いましたが、ジャヤバルマン7世は父親のためにも寺院を建立しており、この壁にたくさんの穴がある部屋が発見されているそうです。ただ穴の数や穴の大きさは比較すると小さめだそう。「いつの時代もも女性は宝石が大好き」とピーナー先生がつぶやいていました。

さて、このあたりを歩いているときに・・・ピーナー先生からクイズが。

「ラピュタの風景もそうですが、もう1つ日本の超有名なアニメの原作がタ・プロームにはあります。なんだと思いますか?」

むぅ・・・難しすぎる。何でしょうか?

それは・・・と見せていただいたのが次の写真です。

そう、アンパンマンです。

「そんなむちゃくちゃな!」と反論しつつも・・・確かに似ている。一度見たらもうアンパンマンにしか見えない・・・結構険しい目つきなのでアンパンチでバイキンマンをやっつける瞬間でしょうか・・・当時、アンパンマンは11人もいたんですね。

そのすぐ近くにありましたデバター像です。彫りが深くてとても美しいです。

さて、タ・プローム遺跡の見学もそろそろ終盤。

みなさん、こちらをご覧ください。

恐竜のレリーフです。タ・プロームが建てられたのは12世紀です。考古学や科学が進んだ今は、当時の恐竜の姿を描いたCGなどをよく見かけますが、12世紀では・・・どうなっているのでしょうか?謎だらけですが・・・①当時実は恐竜はまだ生きていた②12世紀当時、クメール人はものすごい科学力を持っていた③当時訪れた宇宙人に教えてもらった・・・など様々な空想が広がっていきます。

こちらは巨大な鳥にまたがる人。当時崇拝された神様なのかもしれません。

以上がタ・プローム遺跡の見学した内容でした。

KAMPU JHCの皆さんとお昼ご飯

安田にとってのYouTuberアイドルの先生方とご一緒にお昼ご飯をご一緒しました。

メインディッシュは焼き鳥。

カエル餃子(中に具材が詰め込まれています)

こちらごはん。白米と赤米のハーフアンドハーフ。開けたところを写真撮るの忘れました。

レアなお肉のサラダ。

空心菜と鶏モツの炒め物。

魚の練り天。

こちらの昼食では、23日に控えたチャンディさんの息子さんの結婚式の案内状について教えてもらいました。全部クメール語だったので地図すら読めなかったのです。カンボジアの結婚式の風習など色々教えてくださってありがとうございました。

観覧車デート!?

昼食で話題にあがった観覧車に乗ってきました。

こちらの観覧車。日本の遊園地にあったものを移設してきたものです。詳しくはウィキペディアに書いてありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4

大人1名12ドル。ピーナー先生はガイドさんなので無料です。

こちら、車窓からの風景。ジャングルの奥に・・・アンコールワットの中央塔だけが顔を出していました。探すのに一苦労。先生に教えてもらいながらやっと見つけたころには観覧車は一番高いところまで来ていました。ちなみに中はクーラーが効いてて快適でした。

アンコールワット

東側の裏参道から

お昼ご飯と観覧車デートを経ていよいよアンコールワットに着きました。バイヨンと並んで回廊のレリーフがとっても楽しみです!!

参道に咲いていたきれいなお花。

日の出を見たときは西参道から入りました。アンコールワットは巨大なお墓とも考えられているので西側が正面。今回は東側の裏参道から入りました。というのも、午後の日射しを遮る木々が多いのと、参道が短くアンコールワットにすぐ入れるからというピーナー先生の配慮からでした。

アンコールワットが近づいてきました。裏参道は観光客も少なめで日陰も心地よく、いよいよ中に入れるワクワク感が高まってきました!!

アンコールワットにはいたるところにデバター(女神)像たち。全部で2300体あるそうです。スカートの柄や装飾品、そして顔などすべて異なっています。まず像の数を数えた人がすごい!!

うっかり見過ごしそうなところにもデバター像がありました。ここから、デバター像を見つけるたびに写真を撮りましたのでデバター像の写真だらけになりそうです。

乳海攪拌(第1回廊南東の東側)

いよいよ楽しみにしていたレリーフの1つ目、「乳海攪拌」です。乳海攪拌はヒンドゥー教の天地創生の神話です。
昔々、神々とアスラ(悪神)は争っていました。多くの神々がアスラに殺されます。「私たちは神様なのにどうして死ぬんですか?」と最高神のヴィシヌ神に尋ねたところ、不老不死の薬「アムリタ」を手に入れる方法を知るのです。
大亀の甲羅に乗った大きな山を軸に巨大な蛇を巻き付け、右側から神様、左側からアスラが綱引きのように引っ張り合い海を攪拌します。争っていた両者が協力するのはどちらも「アムリタ」が欲しいからです。攪拌しつづけた時間なんと1000年!!海は乳海となりました。そこからアプサラ(踊り子)やヴィシヌ神の妻ラクシュミーが生まれました。そして最後に不老不死の薬「アムリタ」が得られました。
アムリタはほとんどを神様が飲みましたが、最後の1滴をアスラが飲んでしまったため、神様だけでなくアスラの一部は不老不死となってしまいました。

50mにもわたる乳海攪拌のレリーフの右側端です。こちら神様側。最後尾を引くのはサルの将軍ハヌマーンです。ヒンドゥ教の神話に出てくるスーパーヒーローです。

攪拌されている海にはワニや魚がたくさん。でもこの生き物たち、攪拌されすぎて大変なことになっていきます・・・

がんばる神様!

攪拌される海の生き物たち。

攪拌された海から生まれてきたアプサラも神様を応援します。

大迫力!!神様何柱いらっしゃるのか数えるの忘れました・・・

こちら神々を助けるブラフマー神。

攪拌される生き物たち。もう何がなんだかわからないグルングルンの世界。

オーエス!オーエス!観光客が一人もいない状態で撮れた奇跡の1枚!

こちら攪拌の中心部・・・激しく攪拌するので生き物たちの体がちぎれています。左に亀のしっぽが見えてきました。

こちらが乳海攪拌の中心部です。一番下になっている大きな亀の名前はクルマ。ピーナー先生いわく「日本語の車と同じなので覚えやすいでしょ!」とのことでした。クルマの上に乗っているのが山(ダイ・マハンドラ)です。その山のうえで乳海攪拌の指揮をとるのがヴィシヌ神。

ヴィシヌ神を挟んで左側からアスラのレリーフが始まります。

アスラ側にも踊り子のアプサラが舞っています。これはきれいな姿、踊りをアスラに見せて誘惑しているのだとか。

オーエス!オーエス!アプサラもがんばって踊っています。

こちらはアスラの偉い人でしょうか?たくさんの顔があります。

こちら側はワニや魚だけでなくライオンのような獣の姿も。

それも攪拌によって体がちぎれています。あっ亀も発見! 

左端にも偉そうなアスラ(?)が。そして大蛇の頭もしっかり彫られています。

ここで乳海攪拌のレリーフは終了です。さて、「アムリタ」を少しだけ飲んだアスラ。名前はラーフといいます。飲んだ瞬間を目撃した太陽神スーリャと月神チャンドラがヴィシヌ神に伝えました。ヴィシヌ神はすぐにラーフの首をはねます。そのせいでラーフは頭から上だけが不老不死となりました。怒ったラーフはスーリャとチャンドらを食べようとするのですが体がないため食べられた神様はすぐに出てきます。太陽神や月神が食べられて消えるのですがすぐに出てくる・・・そう、これが日食と月食の起源だと言われています。

天国と地獄(第1回廊南東の南側)

乳海攪拌のレリーフが終わり、南側に折れ曲がりますと今度は「天国と地獄」のレリーフが始まります。こちらは上段・中段・下段に分かれた3段構造で上段が天国、中断が天国行きか地獄行きか判決を待っているところ、下段が地獄を表しています。

こちらは乳海攪拌のところにはなかった天井の装飾。美しい彫刻が残っています。

いよいよ「天国と地獄」のレリーフのスタート。上段の天国は損傷が激しくあまり残っていません。その一方で中段と下段は保存状態がよく、特に下段の地獄は本当に恐ろしい描画が残されています。

全身に釘を刺される人。もちろん地獄のレリーフです。

地獄の番人が地獄に落ちた罪人をこん棒で殴りまくっている・・・本当に怖い。 

この下からイソギンチャクのように伸びているのは炎です。もちろん焼かれているのは・・・

焼かれているのは地獄に落ちた人たち。ピーナー先生が、「これは人間〇〇〇のシーンです」ってニコニコしながら説明してくれたのが正直一番怖かったです。〇〇〇はアルファベット3文字。キャンプやピクニックで皆が楽しむアレです。この「人間〇〇〇」という言葉が頭から離れません・・・

あちこちで「人間〇〇〇」。いや、これはお鍋でしょうか・・・

髪の毛を引っ張られ様々な地獄に連れていかれる人たち。

こちら、一部だけですが天国のレリーフが残されています。

これはいったい何地獄なんでしょうか。文献によりますと痛みが永遠に続く無限地獄なんだとか。正式名称を「アヴィーチ地獄」といいます。サンスクリット語で無限を表す「アヴィーチ」。この音をとって日本では阿鼻(アビ)地獄と呼ばれるようになりました。

そして、こちらが「天国と地獄」の主役とでもいいましょうか。大王のヤマです。日本では閻魔(えんま)大王の名前で親しまれています。18本の剣を持ち水牛に乗っています。ヤマが死んだ人たちに天国行きか地獄行きか判決を下すのです。

こちら、レリーフが少し赤みがかっていると思いませんか?昔は鮮やかに着色されていたと言われています。赤みがその色そのものなのか下地の色なのかはわかりませんが・・・この怖すぎるレリーフが色付けされていたということで、当時はもっと恐ろしかったに違いありません。

手に持つ剣を突きつけ判決を下しているところです。手を合わせて減刑を懇願する人の姿も描かれています。「こちらも閻魔大王」とするガイドブックが散見されますが、実際には左端の人がダルマ、その隣がチトラグプタです。人々の善悪を査定して悪人を罪業に応じた地獄に送る担当者です。他の文献によりますと、ダルマが判決を決める閻魔大王のところに人(魂)を連れてきます。そこにチトラグプタがその人の人生・行いを記した書類を閻魔大王に提出します。閻魔大王が天国行きか地獄行きかを決めてダルマが判決をその人(魂)に言い渡し、チトラグプタが執行するという手順なんだとか。

地獄行きが決まり、地獄へ落される人たち。そのすぐ傍では、木に逆さ吊りにされてこん棒で殴られる人の姿があります。

吊り下げられたり振り回されたり、もう何が何だか・・・地獄に落とされたからにはあきらめるしかないのでしょうか・・・ずっと・・・永遠にこの苦しみが続くの?

首に輪っかをつけられ、ひもで縛られ、番人に連れていかれる人たち。地獄にも鳥がいるんですね・・・空は何色で着色されていたのでしょうか。

こちらは地獄ではなく中段のレリーフです。籠に乗って運ばれる王妃です。

 

同じく籠に乗って運ばれる王のレリーフです。赤みがかっている部分が多いのはより多くの着色がされていたからでしょうか。

再び地獄。象に食べられている人いませんか?牙で串刺しにされているのでしょうか・・・

 

こちら審判へのお迎えのシーン。安田の記載は南面の東側(乳海攪拌の終わりの角)から始まっていますが、物語の時系列で言えば逆行しています。だから、地獄のシーン、判決のシーン、そしてその審判へのお迎えのシーンとなっているわけです。ご了承ください。

地獄ばっかり見てきたので少しほっとします。

こちらが「天国と地獄」の始まりの部分。3段の構造になっているのがよくわかります。

是非とも上段の天国に登りたいものです。

こちらは数少ない天国の様子。

そして再び地獄の様子。獣に食べられています。

以上が「天国と地獄」のレリーフです。ところでアンコールワットは前述のアンコールトムが作られたときより少し前でスールヤバルマン2世によって創建されました。この時代はヒンドゥー教が信仰されていました。だからインド古代の神話である「乳海攪拌」がレリーフとして描かれています。しかしヒンドゥー教には「地獄」という考え方はありません。しかしスールヤバルマン2世は自分の功績を示すために「天国と地獄」を記し自らは天国に行くために十分な功績を遺したと言いたかったのかもしれません。これらのことが根拠となり、アンコールワットはスールヤバルマン2世の墓とする考えが定説になっています。正面が西を向いていることもそれを表しています。  

写真に収めたデバター像たち

ここでは写真に撮った様々なデバターの写真を掲載いたします。

こちら、ガイドブックにもよく掲載されている歯を出しているデバター像。ちなみにピーナー先生にこのデバター像について話を振ったのは午前中でした。何気ない雑談を覚えてくれていてガイドコースには無かったこのデバター像をわざわざ見せてくれました。

安田:「よく雑談の内容とか覚えていらっしゃいますね?」
ピーナー先生:「お客様の話は全部聞き漏らしません。何気ない雑談の中にもその人の考え方や好み、希望なども含まれています。また話の内容からアンコールワットのことをどれぐらいご存じかも推測できますので、それでガイドとしてお話しする内容も変えたりしています。」

さすがです!!

こちらは第2回廊を外側から見たところ。壁面にたくさんのデバター像が彫り込まれています。

 

こちら、王様から勲章のメダルをもらったデバターの像。嬉しそうで誇らしげです。

こちら、中央祠堂です。壁にはもちろんデバター像が。見つけられますか?

      

こちらの十字のようなお花のような柄。どこかで見たことがありませんか?ピーナー先生曰く、「ルイ・ヴィトンもここからヒントを得たに違いありません」と言い切っていました。ラピュタにアンパンマンにルイ・ヴィトン、アンコールワット遺跡群には様々な起源があります。

           

十字回廊

十字回廊はアンコールワットの第1回廊と第2回廊の間にある部分。4つの淋浴池があります。

身を清める場所として重要であることと、スールヤバルマン2世が当時の治水技術を誇示するために作ったとも言われています。地上よりも高い場所に池を作るには優れた治水技術が必要だからです。

十字回廊の柱にはサンスクリット語や当時のクメール語で記された碑文が多く残されています。安田にはもちろん何が書いてあるかわかりません。

そしてこちらは江戸時代の日本人が残した碑文。修復によってさらに字が読み取れなくなってしまったとのこと。ちなみに日本人による碑文は10か所あるそうです。この写真が一番有名なところ。江戸時代に祇園精舎(インド)を目指した人がいました。熊本出身の森本右近太夫。西を目指し美しいアンコールワットに到着しここが祇園精舎と勘違いしてしまいます。日本に帰国する前にここがインドではなくカンボジアだったことを知ります。帰国するとき、カンボジアに残る決断をした一行がいました。帰らない人たちはカンボジアに日本人村を作りました。その場所はウドンにあります。日本に帰る方の一行は、その地名「ウドン」を忘れないように、カンボジアのとある料理(カンボジア語では「ロー(ト)」といいます)が大変おいしかったので日本に伝えようとしますが、「ロー(ト)」という名前ではなく・・・もうお分かりですね。料理名を「ウドン」として日本に伝えました。

こちらが安田が滞在中に食べた「ロー(ト)」です。英語ではニードル・ヌードル(針のような麺)といいます。日本の「うどん」よりも少し細目ですごく短いです。

さて、帰国組の森本右近太夫ですが、日本は鎖国をしていましたのですごく帰国することが難しくなっていました。そこで身分を隠して日本に入国することにします。もともとは「熊本」出身の「森本右近太夫」ですが、「森本左近太夫」と名を変え「京都」に住むことにしました。この右近太夫と左近太夫が同一人物であるか研究が進んでいるようですが、京都には「肥後 森本左近」という位牌が残っているそうです。

カンボジアと日本が関係する食べ物エピソードがもう1つあります。カンボジアには「ラパゥ」という食べ物があります。それは・・・こちらです。

そう、「カボチャ」。実はカボチャはカンボジア由来なのご存じでしょうか。カボチャを日本に伝えたのは16世紀ごろのポルトガル人。ポルトガル語でカンボジアのことを「カンボージャ」と言います。「カンボージャ」の瓜だから、カンボージャ→カンボジャ→カボジャ→カボチャ・・・となったんだとか・・・

さて、十字回廊にはもう一つ、大切なスポットが。それが上の写真です。午前中に訪問したタ・プローム遺跡の中に胸を叩くと響く部屋がありました。実は同じような部屋がアンコールワットにもあります。ここでも胸を叩いてみましたが、しっかりドゥーンと響きわたりピーナー先生からは「奥さんに言えない秘密がたくさんあるんですね・・・」といじられてしまいました。

第3回廊

いよいよ第3回廊です。この回廊に上るには東西南北に3か所ずつ計12か所にある急な階段を上らなくてはなりません。その角度なんと60度。もちろんうっかりすると落ちてしまうので当時の人たちもはいつくばって上ったに違いありません。でも、それでいいのです。王がいる中央祠堂に向かうわけですから皆頭を下げるわけです。
ちなみに観光客向けの入口が1か所作られています。ただ階段がものすごく急なので子どもや妊婦さんは危ないので入れません。また露出の多い服を着ていたりすると入口の警備員さんに止められたりするので要注意です。

こちら第3回廊から中央祠堂を見上げた様子。

仏像も安置されています。立像や涅槃像など様々。

こちらは第3回廊からの眺め。当時の王様もこの景色を見ていたのでしょうか。ピーナー先生曰く、「今はジャングルに囲まれているけど、当時は街があったはず。ジャングルではなく街の眺めだったんだと思います。だから今の景色とはかなり違っていたでしょう。」とのことでした。鋭い!

こちらは修復中の図書館。図書館といいましても経蔵。お経の巻物の保管庫です。写真手前のペットボトルのゴミが残念。誰か落としてしまったんでしょうね・・・

さて、こちらの写真にご注目ください。階段があって出入口のようになっています。手前は王の淋浴場。だから回廊から淋浴場に降りる出入口のようなものです。これがオリジナル。でも一部壊れていたので昔々、フランスによって修復されました。その写真が下です。

あれっ・・・梁と柱、間違えていませんか・・・はい。崩れていたのを組み立て直した時に間違えてしまったそうです。って間違えるか!?

 

以上で、アンコールワットの訪問記は終わりです。

アンコールトムのお堀でクルージング

観光の最後の行程です。

こちらアンコールトムのお堀を船でいく夕日クルージング。

世界遺産に認定されて環境対策にも力を入れています。船もエンジンなどは使わずに手漕ぎ。森林からの鳥や虫の鳴き声を聞きながら、それでも「しん・・・」とした静かでそしておごそかな時間が過ぎていきます。ちなみにお堀の水はとってもきれい。透き通って中の水草が透けて見えていました。

夕暮れ時が近づいてきました。

鑑賞ポイントはアンコールトムのお堀の上です。南西側に位置する場所です。

こちらが夕日。30分ぐらいはここにいたでしょうか。刻々と変わる空の色、そして森の中に沈んでいく夕日をずっとだまって眺めていました。

そして夕食

クルージングの復路の船のなかで先生が「夕食どうされますか?」と聞かれたので、「地元の人が大好きな食べ物やレストランがいいです。できればお昼にご一緒しました皆さんもご一緒に。」とお答えしました。

先生曰く、夜の定番は焼肉かお鍋ということ。「お鍋?今まで食べたことないです。」と伝えると先生はびっくりしていて行先はお鍋レストランに決まりました。

こちら、魚のすり身。黒いのは粒胡椒です。

エビとイカ。

野菜や揚げ湯葉。

大量の揚げ湯葉。

ピーナー先生がお鍋を作ってくれました。

キノコや野菜も投入。

そして出来上がり。

追加の具材で牛肉登場。

とってもおいしかったです。スープは薄い醤油色。すり身やイカ、エビからうまみがでて美味。このスープを無駄にしてはなりません。最後は雑炊で締めました。

お食事中、色々なお話をしました。JHCのガイドの皆さんは、「山本日本語学校」というところで日本語を学ばれました。そして全員ではありませんが、ほとんどの先生が日本に来られています。それは日本の文化に触れたり、四季を感じたり。この体験はもちろんガイドの品質向上につながります。ただたんに「日本語が話せるガイドさん」ではなく、日本人の考え方や日本人の住む日本という国を少しでも理解することで細かなところにも心配りができるガイドさんたちなのです。

雑談のなかでその人のことを理解し、アンコールワット観光が初めてなのかそうでないかでしゃべる内容を変えたり、もちろん年齢によっても使う言葉を使い分けられています。
安田が観光中に他の日本人観光客を何度か見かけました。その方々をガイドする日本語ガイドさん。ピーナー先生のガイドとは違うなぁと思いました。なんだか一方的に説明するだけで集中して聞いている人は少なく、みなスマホみたりして疲れている様子。
もちろん、たっぷりガイドしてもらおうと思ったら何時間もかかります。安田もアンコールワットだけで2時間ガイドしてもらいました。でも「あっというま。」ピーナー先生は「このレリーフ何に見えます?」と質問してくれたり、色々なエピソードを話してくれたり、インドの神話のことも。ヒンドゥ教から仏教への移り変わり。その過渡期に王様が国民にした気配りや配慮のことなど。そして何より良かったのは「ピーナー先生、アンコールワット遺跡が大好きなんだなぁ」と何度も感じたことでした。「私が大好きな、そしてカンボジア人の誇りでもある、アンコールワットを見てください!!」という気持ちでずっと終始笑顔でガイドしてくれました。
日本語の先生としても一流。ガイドとしては超一流のピーナー先生。ありがとうございました。

お別れ

最後はプノンペンへのバス乗り場まで送っていただきました。ドライバーさん、安全運転ありがとうございました。何度かいただいたお水、とっても冷たくって生き返りました。最後に記念撮影してお別れしました。

行きと同じの深夜長距離バスです。21時出発。

というわけで寝ます。・・・、で起きたらプノンペンについていました。途中トイレに1回起きましたが、トイレもとってもきれいで快適でした。到着は日付が変わっての20日2時40分。予定より20分早くついたようです。
トゥクトゥクでホテルに戻り、洗濯、バッテリーの充電などバタバタです。

最後に

という、素敵な一日の体験のブログを今書いています。現在、20日の午前4時30分。待ち合わせまであと30分しかありません・・・

「えっ、またどっかいくの?」

はい。アンコールワット弾丸ツアーの次はジョンの実家のスヴェイリンです。カンボジアの田舎生活体験。一泊二日で行ってきます。なので、ブログの更新はいったんお休み。次の更新はたぶん22日の朝になります。

皆さん、最後までご覧いただきありがとうございました。

カンボジア訪問記2024 13日目 2024/12/20 ホームステイ in スヴェイリン

皆さん、こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。今日は12月20日。安田が同行する自転車プロジェクトの現地活動は終わりましたので番外編をお伝えしております。

ここでいつものご留意事項が1つ。毎年のことなのですがこのカンボジア訪問は渡航費用・滞在費は安田の完全自費で行っております。
皆様からご協力いただいたご支援金は自転車や修理クラブ用の工具や交換パーツの購入、寄贈セレモニー等の実施費用、クラウドファンディング手数料と返礼品などの準備・発送にかかる活動運営費などに使用させて頂いております。
だから、プロジェクトから脱線した活動をしているときは安田自腹ということで、『おいらたちの金で何遊んどるねん!』って怒らないでください。よろしくお願いします。

さて、シェムリアップからプノンペンに帰ってきましたのが20日の午前2時半。ホテルにもどって急いで洗濯したり、シャワーあびたり、訪問記書いたり・・・

バタバタしてましたら入口からチマオの鳴き声が。エサタイム。

さて、今日と明日何をするかといえば、ほぼ毎年の恒例となっております、トゥクトゥクドライバーのジョンの実家に1泊2日で遊びに行きます。

場所はスヴェイリン州。

場所は、上の地図の「プノンペン」の字のすぐ左下。ベトナムとの国境がある州です。ジョンの実家は奥さんとお孫さんたちが暮らしています。ジョンの息子世代の面々はほとんどがプノンペンに出稼ぎに来ています。お孫さんたちも実家暮らしなので、息子世代からすると子供たちと離れて暮らしていることになります。

その息子世代たちからはサー(右側)とドエン(左側)が同行してくれることになりました。集合時間の朝5時より少しだけ遅れて出発。ちなみに後ろに見えているのはサーが今年購入した車です!

途中、子どもたちへのお土産に蒸かしトウモロコシを購入。

「カツヤ、一本食べるやろー」と熱々のものをもらいました。日本のものと比べると全然甘くないけど蒸かしたて熱々でおいしかったです。

さらにスヴェイリン州に入って市場に寄りました。子どもたちへのおみやげのお菓子を購入。

「カツヤ、食べろ食べろ」と手渡してくれました。マーラーカオのような蒸しケーキ。ココナッツがかかっています。あまくておいしい。

こんな感じでジョンの実家に行くツアーはずっと食べ続けてお腹がいっぱいの状態が続きます。

およそ2時間30分でジョンの実家に到着。奥に見えているのは・・・

娘とお婿さん(チャイヤ)ご夫妻のために建てた家だそうで。儲かってますなぁ・・・そういえば

屋根には小さいですが太陽光パネルがついていました。

さて、到着するやいなや・・・まだ8時過ぎなんですが宴スタートです。

鶏の丸焼き。

鶏の煮込み。ちなみに全部骨丸ごとです。でも大丈夫。食べたあとの骨は・・・

番犬たちが全部食べてくれます。

こちらは鶏肉のカレー煮込み。

さて、あまりにも寝不足なので少し寝ることにしました。ハンモック。このハンモックがとっても気持ちがいいんです!!数秒で寝落ち。

寝て起きたら、いつも汗でびっしょりなのでシャワーをあびることになります。

こちらカンボジア田舎スタイルのシャワー兼トイレ。シャワーといっても貯めた井戸水をバケツで頭からかぶるだけです。女性陣用にシャンプーとかも並んでいますが、安田は気にせず水浴びオンリー。

こちらが井戸です。数年前に電動ポンプを導入したので楽ちん。きれいな水が出てきます。飲めるかどうかは不明。ジョンファミリーも飲み水はミネラルウォーターでしたので安田も従うことにして飲むのはやめときました。

水浴びしながら着ていたTシャツとパンツを水でバシャバシャ。濡れても強烈な日差しで2~3時間で乾いてしまいます。

安田が昼寝(朝寝?)から覚めるのを待ってくれていました。何をするかというと近くの池で漁です。 

雨期のころはこのあたりもいたるところ湿地みたいになっていて、メコン川から大きな魚が流れてきます。乾季に入って取り残された魚を獲るのです。1シーズンに一度きりのお楽しみ。たぶん、安田が来るまで獲らないで待っていてくれたんだと思います。

結構深いところもあって、安田は金づちだとみんな知っているので誰も「やってみる?」とは言いません。安田は獲れた魚をカゴで集める係です。

結構たくさんとれました。カゴからはみ出ているのも併せると10匹ぐらいでしょうか。あとカエルが1匹。わかります?

すぐに調理スタート。カエルの調理は初めて見ました。頭を落として皮をはいで内臓の処理をします。

魚も調理。包丁が恐ろしく切れないので安田はここは手を出さず。ヒレを落としお腹に切れ目を入れた状態のものを奥のタライに入れてもらって、安田は内臓とエラを取る係です。

火を起こして・・・

魚(+カエル)スープにします。

 

できあがりました。ジョンが「カエル食べろ」と差し出してきます。今年のカンボジア訪問はカエルが頻出。いつもは1回あるかないかぐらいなんですけどね・・・おいしくいただきました。

次は牛モツです。

臭みを取るために何度か茹でます。

最後は細かく切ってタレをつけて食べます。もちろん美味!ちなみにカンボジアの「おいしい!」は「チュガニュッ!」といいます。滞在中、100回は使っているに違いない。カンボジア料理は食堂やレストランで食べるのはもちろん、ジョンの実家で作ってくれるものも最高です!

次は豚肉です。

コンロでジュージュー焼きます。

できあがり!!タレを付けたり野菜で巻いたり色々アレンジしながら食べます。

さて、ジョンの実家には家畜として牛、豚、鶏がいます。牛や豚は特別なときでなければ食べません。

でも鶏は別。その場で絞めて処理をして食べます。今日はもう安田が到着したころには調理が終わっていました。魚にしてもカエルにしても、さっきまで生きていたものを食べる。ここにくると生き物が人の口に入るまでの過程を目の当たりにします。そしていつも命を頂くことのありがたさを再認識するのです。

さて、毎年恒例の初日最後のイベント。サーが「魚突きにいくぞ」と誘ってくれました。

サンダル脱いで裸足。あぜ道を歩いてきます。まだ日に照らされた温かさを感じます。途中石を踏んで痛かったり、あやうく牛のフンを踏みそうになったり。懐中電灯が無ければ絶対踏んでいました。なんせ写真にあるように真っ暗なんです。

だからすごく楽しみにしているんです。もちろん魚突きもそうなんですが、それ以外に2つあります。

1つは満天の星空。ほぼ地平線に近いところに北極星があります。だから北斗七星やカシオペア座はもちろんオリオン座も見えます。とにかく星がたくさん。

そしてもう1つは・・・今年も叶いませんでした。一昨年初めて聞いたアイツの鳴き声です。2年前の訪問記に記載していますので詳しくはそちらをどうぞ。

訪問記12-13日目(2022/12/22-23)番外編【カンボジアの親友ジョンの故郷へホームステイ!】

さて、獲物の成果は・・・

小魚が数匹とカニが1匹だけ。残念!!

戻ったら、鶏の下処理の途中でした。上は羽をむしっているところです。

下処理を終えました。

今度はチキンスープにしてくれました。

さらにアヒルの卵を8つも使った卵焼き。甘めの味付けで子どものころ食べたお弁当の卵焼きを思い出します。

宴は続くよ・・・どこまでも・・・というわけでもなく。朝8時ごろ到着し、ずっと食べて飲んで昼寝しての繰り返し。酔いもまわって夜10時ごろには就寝です。

今日は冒頭に出てきましたチャイヤ夫婦のために建てた家で寝かせてもらいました。というのも、いっつも一緒に来るチャイヤ、今年は来なかったんです。

訪問記2日目の最後に記載したプノンペンでの家族勢ぞろいディナーには来てくれたんです。

カンボジア訪問記2024 2日目 2024/12/09 EDFカンボジアのオフィスへ!

でも、写真に写っていない。それは来てすぐに帰ったからです。明らかに酩酊状態。そう、チャイヤ最近お酒にはまりすぎて朝から飲んでる毎日なんだとか。缶ビールが1箱(24本)毎日無くなっていくそうで・・・でも彼の仕事はトゥクトゥクドライバー。仕事にならないんじゃないか?あるいは飲酒運転で事故るんじゃないか。みんな心配しています。

チャイヤが早く復活することを願っています。

 ここまでで1日目終了です。

最後までご覧いただきありがとうございました。

カンボジア訪問記2024 14日目 2024/12/21 カンボジア・オールディーズ

皆さん、こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。今日は12月21日。安田が同行する自転車プロジェクトの現地活動は終わりましたので番外編をお伝えしております。

ここでいつものご留意事項が1つ。毎年のことなのですがこのカンボジア訪問は渡航費用・滞在費は安田の完全自費で行っております。
皆様からご協力いただいたご支援金は自転車や修理クラブ用の工具や交換パーツの購入、寄贈セレモニー等の実施費用、クラウドファンディング手数料と返礼品などの準備・発送にかかる活動運営費などに使用させて頂いております。
だから、プロジェクトから脱線した活動をしているときは安田自腹ということで、『おいらたちの金で何遊んどるねん!』って怒らないでください。よろしくお願いします。

今日もスヴェイリン州にあるジョンの実家でのホームステイの様子です。朝起きたら、ジョンが朝ごはんの準備をしていました。 

カエルです。香味野菜などで下味がつけてあります。

グリルで焼きます。

できあがり。味が濃い目で朝からビールを飲みたくなります・・・

そして、朝ごはんの定番、カンボジアのそうめん。ノンバンチョックです。プラホックという魚を発酵させた調味料と一緒に食べます。

そして宴の準備。ちょうど鶏を絞めるところでした。首に切りこみを入れて血を抜きます。そして羽をむしりやすくするために一度茹でます。そのあとはひたすら羽をむしる。(安田はここのパートだけやらせてもらいました。)

こちらが羽をむしり終えた鶏です。そのあと内臓を取ります。キモ、ハツ、砂ズリを食べるのは日本も同じ。そのほかの内臓は破棄していました。 

こちらが下処理を終えた状態。続きの調理・・・に行くのかと思いきや「市場に行こう」とジョンに誘われました。

豚肉を物色するジョン。市場のお肉は基本的にこのように吊るされて常温で保管されています。もちろんハエもたくさん。苦手な人はそれを見るだけで食べられないかもしれませんね・・・

香味野菜と唐辛子を購入。

最後に卵を15個購入して市場をあとにしました。

帰ったらさっそく調理開始です。ぶつ切りにして、横ではゆで卵を作っています。

骨が待ち遠しいワンコ。

最初の鶏肉はスープに。さきほどの豚肉と卵は一緒に煮込んでくれました。

サーが安田の「指さし会話帳」を見ながら話してくれました。彼は今、喉と腎臓の病気だそうでお薬を飲んでいます。もうすぐ治るんだとか。それまでずっとビールを我慢しているそうです。それでいっつも水ばかり飲んでたんですね。納得。

・・・と思いきや

「写真撮ろう!」とサーがビールを手にしています。「飲むんかーい!」って突っ込もうと思ったら撮影用に持っただけ。プルタブは開けずクーラーボックスに返していました。すごい意思が固い!!

さて、写真だから音は聞こえてこないのですが、この宴の間、ずっとカンボジアのオールディーズがすごい大音量で流れています。

サーが「日本の音楽流す?」と聞いてくれました。いつもカラオケ用の大スピーカーで大音量で流すので・・・「日本の音楽よりいいものがあるよ!」と伝えて安田のスマホをスピーカーにつなげてもりました。

そして流したのは、カンボジアの60年代のオールディーズです。シン・シサモットやロ・セレイソティアなどの歌などが入ったカンボジアオールディーズのオムニバスCDをヤフオクで購入しスマホに入れていたのでした。とってもかっこいいんですよ!!それを流したら、みんな「この曲知ってる!」とか言いながら口ずさんでいました。これ、やりたかったんです。ジョンの実家で大音量オールディーズ。

大いに食べて、大いに飲んで、最高の音楽を楽しんで・・・時間はあっというまに過ぎていきます。

 

約束の時間が来てしまいました。みんなで記念撮影。来年はチャイヤも来てほしい!一番右のジョンの奥さんが抱っこしているのはチャイヤの次女です。かわいい娘たち、そしてチャイヤの奥さんのためにも復活してほしい!

お別れしてサーの車で一路プノンペンへ。

半分ほど来たところで見えてきました。安田が大好きツバサ橋。写真じゃ伝わらないですが本当に美しい橋。

去年の安田はFacebookでライブ配信していました(#^^#)

正式名称はネアックルン橋です。「日本がすごい橋を作ってくれた」とみんな喜んでいます。だから・・・

カンボジアの500リエルのお札にもデザインされています。左がツバサ橋。真ん中はプノンペンの友好橋(推測)です。右には日本の国旗が記された記念碑も。背景にうっすら写る壁画レリーフはアンコールワットにある建築現場の風景のレリーフです。素敵でしょ!!

さて、16時半ごろにプノンペンに帰ってきました。

チマオのエサタイムを終えて、昨日と今日の訪問記を書き始めました。いま、19時になったところ。少し休憩します。

(30分経過)

晩御飯調達してきました。ホテルの近くにあるタイ料理のキッチンカーみたいなお店。

こちらメニュー。

パッタイを頼みました。「辛くしないでね」とリクエストして・・・

ホテルでもぐもぐタイム。味は・・・まぁいいんです。おいしいのいっぱい食べたから。このブログ書き終えたらTシャツだけ洗濯して寝ます!

今日も最後までご覧いただきましてありがとうございました!

 

カンボジア訪問記2024 15日目 2024/12/22 EDFカンボジア同窓会!!

皆さん、こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。今日は12月22日。安田が同行する自転車プロジェクトの現地活動は終わりましたので番外編をお伝えしております。

ここでいつものご留意事項が1つ。毎年のことなのですがこのカンボジア訪問は渡航費用・滞在費は安田の完全自費で行っております。
皆様からご協力いただいたご支援金は自転車や修理クラブ用の工具や交換パーツの購入、寄贈セレモニー等の実施費用、クラウドファンディング手数料と返礼品などの準備・発送にかかる活動運営費などに使用させて頂いております。
だから、プロジェクトから脱線した活動をしているときは安田自腹ということで、『おいらたちの金で何遊んどるねん!』って怒らないでください。よろしくお願いします。

朝活!

久しぶりにベッドでぐっすり眠りました。5時に目が覚めまして、後回しにしていたアンコールワットの観光についてのブログを追記。

そして、荷物の整理・・・そう。今日の夜ホテルをチェックアウトし、そのあと1か所経由して空港へ。とうとうカンボジア滞在も最終日になってしまいました。

こちらコーヒー豆40キロ。

その他もろもろ。ビニール袋に入っているだけなのは、いつもの黒い巨大バッグをEDFカンボジアの車の中に忘れてきてしまったから・・・今晩最後の合流のときに受け取る予定です。

そしてEDFカンボジアのメンバーに、残りのパーツ補給の注意点などをSNSで送信。これで朝活完了です。

 マッサージへGO!

朝、8時30分になりましたのでお出かけです。とあるお店へ開店ダッシュ。

それはこちらのお店。視覚障害者の方が日本式のマッサージを提供するお店。カンボジア自転車プロジェクトのブログでも何度も登場しているおなじみのお店です。

こちらで「クメールマッサージ」をみっちり2時間。14ドル。リフレッシュできました!!

お使いへGO!

とあるお買い物を頼まれましたので、時間があるので行ってみることにしました。

ロシアンマーケットへ

マッサージからロシアンマーケットへ直行です。

トゥクトゥクは本当に便利。

マーケットに到着しました。何のお使いかと言いますと・・・何度も夕食に出てきた豆です。

マーケット内を探していると見つけました!!

お店の人に値段を聞いてみますと500gで4ドル。250gで2ドル。100gあたり0.8ドル。

ん・・・・もちろん値切れるんだろうけどそんな元気ない。

マーケット内で少し遅い朝ごはん取ることにしました。

で、近くにあるイオンに出かけることにしました。イオンにあることは、そのお使いの主に教えてもらっていたのです。

こちら400gで2.9ドル。100gあたり0.725ドル。数十円の差でこちらの勝ち。きっと市場の方は値切ったらもっと安くなるんだろうけど、持ち帰りしやすそうだし、賞味期限もきちんと書いてあるので・・・こちらで購入しました。

ニードル・ヌードルで昼食

こちら、今日のお昼ご飯。

短い麺(ニードル・ヌードル)の焼うどんです。こちら、アンコールワットでピーナー先生のガイドを聴いたらどうしても食べておかなくてはと思った次第です。そのわけは「うどん」だからです。詳しくは、アンコールワット訪問記の方に詳しく書きたいと思います。

今現在、まだ書いてる途中ですがリンクはこちらです。

カンボジア訪問記2024 12日目 2024/12/19 やっと会えた!クメール語の先生

ちなみにこの焼うどんもホテルの近くにあるので何度も足しげく通っています。これで1.5ドルです。

結婚パーティに参加!!

今日最大のミッションは結婚パーティに参加すること。EDFカンボジアのチャンディさんの末息子さんの結婚式が行われ、日程が合ったのでチャンディさんが結婚パーティに招待してくれました。

そのまま空港に向かうのでコーヒー豆40キロなど全部もってパーティ会場に向かいます。サーがトゥクトゥクで迎えに来てくれました。

途中、カンボジア・シクロ・協会のTシャツを着こんだシクロ軍団に遭遇。古き良き乗り物、シクロ。安田も1回だけ乗ったことがあります。

式場に到着。その後、EDFカンボジアのヴィリャックさんとデビットさんに合流。黒カバンをもらいとりあえずコーヒー豆などをカバンに入れました。サーが終わるまで待っててくれるというのでカバンを預けていざパーティ会場内へ。

入口で本日の主役、チャンディさんの息子夫婦と記念撮影をして中に入りました。記念撮影は式場のカメラで行いましたので今のところ手元にはありません。

こちらが入口でいただいたもの。左は中に口臭リセットのようなスプレーが入っていました。

こちらが会場。会場に入るとすでに食事をスタートしているテーブルも。先日シェムリアップに行ったときに日本語ガイドさんたちに教えてもらったのですが、カンボジアのパーティはテーブルが相席で席が埋まった順に食事が始まるスタイル。

EDFカンボジアのヴィリャックさん、デビットさん、安田の3人。1テーブルは9人。残り6人が現れるのを待ちます・・・

こちら、コースメニュー。左端の数字しかわかりません。

だんだん賑やかになってきました。

でも、安田のテーブルはなかなかうまりません。お客さんはどんどん入っているのですが、なぜかうちのテーブルには来ない様子。なんでかなぁ・・・と思っていましたら・・・

EDFカンボジアに関するメンバーが集うテーブルだったのです。チャンディさんとみんなと記念撮影。安田の右側にはヴィリャックさん、その隣がマブさん。去年EDFカンボジアを卒業され自分の道を進んでいます。そしてその隣の青いシャツがシナさん。そう、安田が初めてカンボジアを訪れたときのスタッフです。カンボジア自転車プロジェクトの創成期を支えてくださった人です。うれしすぎるので初対面のときの記念撮影の写真も掲載しておきます。

この写真は2015年のもの。9年経ちました。チャンディさんもシナさんも安田も今よりスリムです・・・やせなきゃね。

というEDFカンボジア同窓会のようなテーブルになって再会を喜び、チャンディさんの息子さんの結婚を祝い、そしてうれしそうなチャンディさんと楽しく幸せな時間を過ごしました。

さて、料理にも興味がある人が多いと思いますのでご紹介します。

左から反時計回りに、エビフライ、蒸し鶏、揚げシューマイ、魚の練り天、カシューナッツ。真ん中がひき肉と野菜のサラダです。

そして牛肉ステーキ。

海鮮の炒め物。

アヒルの煮込み。

 

大きなエビのスープ。

チャーハンと白ご飯。

タピオカとトウモロコシと甘いお芋のミルク。

「お前、なんか忘れていないか?結婚パーティだよね?」

はい。もちろん忘れていませんよ。

こちらがヴュス&ピナ新婚さんご夫妻です。お二人とも流ちょうな英語を話されます。安田が日本から来ていることをチャンディさんから聞いているのでしょう。色々とっても親切にしてくれました。安田の家内に写真送ったら「美男美女やなぁ~」と返信が。本当にそう思います。
これからも末永くお幸せに。

さて、楽しすぎてずっといたいところなのですが時間が21時。22時には空港に到着しなければいけないのでパーティ会場を後にすることになりました。

チャンディさん、ヴィリャックさん、デビットさんらEDFカンボジアの面々、そしてマブさん、シナさんたちOBの皆さんと別れを惜しみつつ、「来年また!」とさよならしました。

いざ空港へ!!

 

会場の駐車場でサーが待ってくれていたので空港にGO!サーは車も持っているのですが、最後はやっぱりカンボジアの匂い、風、蒸し暑さを実感したくトゥクトゥクにしてもらいました。8日に到着して今日23日までの16日間。長くて短いカンボジア滞在。来年また来ると誓いつつ・・・でも日本が恋しくも思えて。娘にLINEしてみました。

家族に会えるのが楽しみです。

空港に到着。サーとはここでお別れ。車のローン、しっかり払ってね。という応援の意味も込めてトゥクトゥク代はずんでおきました。そしてチャイヤのことよろしくね。お父さんのジョンのこともよろしくね。また魚突きに連れて行ってね。来年こそはトッケイの鳴き声ききたいなぁ。また来年会おう!!

空港内に入ってきました・・・ん?遅延?もともと北京での乗り換え時間は2時間40分という超短め便利コースのフライトプラン。ここで1時間15分のロス。北京でバタバタしそうです。

だから・・・

空港内のスタバでこのブログ書いています。無事に北京で乗り継ぎできるのかどうか!!それは明日の訪問記(最終回)にて。

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

カンボジア訪問記2024 16日目 2024/12/23 ただいま!!!

皆さん、こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。今日は12月23日。いよいよ帰国です。どちらかといいますと日本についてからのことをお話ししたいと思います。

ここでいつものご留意事項が1つ。毎年のことなのですがこのカンボジア訪問は渡航費用・滞在費は安田の完全自費で行っております。
皆様からご協力いただいたご支援金は自転車や修理クラブ用の工具や交換パーツの購入、寄贈セレモニー等の実施費用、クラウドファンディング手数料と返礼品などの準備・発送にかかる活動運営費などに使用させて頂いております。
だから、プロジェクトから脱線した活動をしているときは安田自腹ということで、『おいらたちの金で何遊んどるねん!』って怒らないでください。よろしくお願いします。

あっ

カバンの中をチェックしていましたらビール缶の当たりが記されたプルタブが2つ。いつも最終日にジョンに渡していたのが2つ残っていました。来年までとっておいて渡したいと思います。ちなみにこのプルタブ。「1缶当たり」といいましても無料ではなく交換料として500リエル必要です。だいたい缶ビールは1本2500リエルだからお得なのはお得なんです。そして当たりがでる確率はとても高く、ときどき、「2缶当たり」や「1ドル当たり」というのも引き当てたことがあります。一等賞はなんと車です!!

日本に向けて移動

こちらプノンペン→北京便での機内食。エビ雑炊。あれっ、パンが載ってない。まぁいいや。ちなみにプノンペンでは出発が1時間15分遅くなりました。北京での乗り継ぎ時間が2時間40分という超短め便利コースのフライトプラン。これで残り1時間25分となりました。

でも、予定通り北京に到着し乗り換えも問題なし。関西空港行きの飛行機に乗り込みましたらそこで1時間缶詰。なんだか荷物を積むのに手間取っているみたい。まぁ関空に着くのは別に遅くなってもいいので大丈夫。

こちら北京→関空便の機内食。チキンです。

「あれっ、水飲んでる。ビールじゃないの?」

はい。日本についたら車運転しないといけないのでおとなしく水です。

生コーヒー豆の輸入手続き

無事に関空に到着しました。これで終わりと思いきや、とっても重要なミッションが残っています。それは持って帰ってきた40キロのコーヒー生豆の輸入手続きです。

まず、生豆なので「種」にあたるため植物検疫の手続き。これは目視でいつも簡単なチェックで終わりです。荷物タグに検疫済みのハンコをいただきました。

そのあと、税関のところにいって職員さんに説明。

「コーヒー生豆を持って帰ってきました。販売もするので食品輸入の届出をしなければなりません。一度空港を出て関西空港検疫所食品監視課に行ってきます。そのあいだボンドさん(保税倉庫)に荷物を預かってほしいのです」

と、もう何度か行ったので説明もスムーズ。でもスムーズじゃないのは関係者たちです。いつも小さいながらも何等かのトラブルに見舞われます。

今回は税関の職員さんAは「はいはい。わかりました。」と安田を誘導。職員さんBに「ということだから。」とバトンタッチ。どうみてもAさんはわかっていない様子。胸のバッチは☆3つ。Bさんは2つ。Bさんはよくわかっている方でした。

Bさんはボンドさんに連絡して保税倉庫の担当者が来てくれました。なんと3人。そのうち1名のCさんはどうも新人さんのよう。そしてなんと・・・漢字書くのもたどたどしい東アジア風の人。Cさんは税関のBさんに「荷物はこの2つですか?」と聞き、Bさんに「それはご本人さんに聞くことでは?」と正されていました。保税倉庫の先輩?のスタッフ2名から色々教えてもらいながら進めていきます。書いている伝票の漢字が・・・まぁそこはいいとして。すでに渡してある携帯品申告書にはしっかり「コーヒー豆40キロ360ドル」と書いてあるのですが、「中身は何ですか?」と尋ねてくるしまつ。新人さん教育はいいとしてもここまでひどい状態で安田を実験台にしないで・・・ちなみにこちらの保税倉庫さん、去年は預かり料金を高く取りすぎていて領収書を書き直すのに職員3名がかりでたっぷり時間をかけていました・・・関空さん、運営企業さん変えた方がいいと思います・・・

今回の預け料は5000円。いまどき現金のみ。皆さん、安田のような手続きをするときはこのときのために預け料と納税のための日本円の現金、あとで出てくる免許証は必須です。忘れないでくださいね。

で、なんとか保税倉庫さんに荷物を預けていったん到着ゲートから出てきました。そのまま直行で関西空港検疫所食品監視課へ。一般の人が立ち入りできないエリアなので通行許可証のようなものをもらって(免許証が必要)バスで検疫所へ。

バスでは一駅なのですが歩くと結構あります。

到着しました。

こちらの書類もその場で一から書くと大変なので出国前にきちんと作って、ハンコを押したものを2枚(必ず2枚必要です)用意しておきました。いくつか質問を受けて問題なく届け出完了。

このハンコ押してもらった届出書の紙をもって再びバスで戻り税関へ。

今度は税関の裏口のような入口から入っていきます。窓口の若い職員さんに説明しても的を得ない。後ろからベテラン職員さんが出てきて再入場。どこも人員不足なんでしょうか。あるいは安田がやっていることがすごく特殊すぎるのでしょうか・・・

中の税関の職員さんに食品輸入届出の紙を見せて、ボンドさんから荷物を受け取り、そして納税・・・

安田:「あの、その食品輸入届出書返してください」
職員D:「いえ、これはこちらで預かりますので返却できません。」
安田:「いえいえ、昨年も返却してもらいました。そもそも返却してもらえないのならこのコーヒー豆が販売用としてきちんと輸入手続きしたものだとどうやって証明するのですか?」と、もういいかげん切れ気味の安田。
職員D:「では、コピーをいただきます。」

「では」ってなんやねん!最初の一言はDの誤りであって、それをあたかも当然のようにしれっと言う。税関ですよ。税関。「あなた方プロじゃないのか?適当なことを言うな!」と怒鳴り散らし・・・ませんよ。安田は大人ですから。

そして「ただいま!」

そんなブチ切れ寸前のことがあったことは忘れて満面の笑み、目力100%で自撮り。これまで16日間のカンボジア滞在を応援してくださった皆さんへのお礼の気持ちを込めてSNSへ投稿。

これにて安田のカンボジア滞在記2024は完了です。まだパーツ補給が数カ所残っていますが、それはEDFカンボジアのメンバーが後日行ってくれることになっています。

振り返り

簡単にこの滞在を振り返ります。

  • 新しく活動エリアがバッタンバン州、ポーサット州に広がりました。いつか全部の州をまわりたいです。
  • 自転車310台を寄贈するために6カ所で寄贈セレモニーを行いました。そこでは初めてクメール語でのスピーチに挑戦。またカンボジア国家も大きな声でみんなと歌いました。これは来年以降も続けていきます。
  • 自転車修理クラブも新たに6つできました。これで合計44カ所となります。来年はこの44カ所のパーツ補給が必要となります。
  • 今年は38カ所のパーツ補給を行いました(一部はこれからですが)昨年、在庫が空っぽになっているクラブもあればいまいちのクラブもあって、「もっと有効活用してもらいたい」との思いで「自転車修理クラブの運営について」の注意書きを工具箱に貼り、先生と生徒たちに説明することにしました。「先生がうまくやってくれるだろう」という期待は捨てて、きちんと有効活用してもらうための工夫です。これも毎年続けていきます。
  • 途中のオフ日に学生服のシャツを子どもたちにプレゼントすることができました。それはとても楽しいことだったのですが、なんとそこの校長先生が翌日に急逝。池の水が有毒だったみたいで計6名が亡くなったとのことです。チャンディさん曰く、車など移動手段が無いので病院にも行けなかったそう。もし行けたとしたら助かったかもしれないとのことでした。貧困は学校や病院へのアクセスも困難になってしまいます。そして明日をもしれない命の尊さを再認識し、今日・明日を一生懸命生きようと強く思いました。
  • 最終日はチャンディさんの息子さんの結婚式に参加。EDFカンボジアの過去のスタッフさんとも再会。なんだか同窓会みたいと最近退職されたマブさんが言っていました。その同窓会に安田も加えてもらったことがとてもうれしかったです。自転車プロジェクトが始まったころに関わっていたシナさんは今年310台の自転車をプレゼントできたことを聞いて規模が大きくなっていることにびっくりしていました。びっくりさせることができて本当に良かったです。
  • 安田個人で奨学金を支援している4人の奨学生にも再開できました。最年長のリンナちゃんはあと1年で看護師になる夢をつかみます。セン・ニサちゃんは教員養成学校に向けて再チャレンジです。スレイ・フォスちゃんは高校1年生。高校生活を楽しんでほしい。ロセカちゃんはお父さんを亡くしてとっても悲しいけど新中1年生としてがんばって勉強してほしい。みんなすごい環境に苦しんでいる中、頑張り屋さんばかり。安田はとっても元気と勇気をいただきました。
  • 今回はPちゃん、ユズキちゃん、オダギリ君、吉川さんと過去最高の同行者数となりました。いろいろと手伝ってくれるのもそうですが、移動中にいろいろな話ができたことが安田のなかで自分も気づかない「安らぎ」だったと感じました。みんながいなくなった後半。寂しいような・・・でも立ち上げ当初、ずっとEDFメンバーと安田でやってきたのです。でももっともっと色々な人たちにこのプロジェクトを見てほしいと思いました。それは見てくれた人がその体験を多くの人に話してくれるだろうからです。カンボジアの子どもたちの環境。そして自転車プロジェクトのこと一人でも多くの人たちに知ってもらいたいです。
  • そして、いよいよ来年2015年は10回目の節目となるカンボジア自転車プロジェクト2025です。10thアニバーサリーです。今年達成できなかった累計2000台の突破をはじめより大きな規模でできますようがんばっていきたいと思います。どうぞ皆さん応援よろしくお願いいたします。

今後の予定ですが、12月中にEDFカンボジアが残りのパーツ補給を終え、写真などを整理する作業が入ります。並行して安田はプロジェクトをまとめたページの作成、報告書の作成、写真の印刷、返礼品の準備などを進めていきます。返礼品の発送は2月になる予定です。今しばらくお待ちください。

最後までご覧いただき、そしてSNSなどで色々激励してくださり、投稿に「いいね」してくださったり、様々なかたちで応援してくださり本当にありがとうございました!