皆さん、こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。今日は12月12日。現地活動の3日目です。
ここでいつものご留意事項が1つ。毎年のことなのですがこのカンボジア訪問は渡航費用・滞在費は安田の完全自費で行っております。
皆様からご協力いただいたご支援金は自転車や修理クラブ用の工具や交換パーツの購入、寄贈セレモニー等の実施費用、クラウドファンディング手数料と返礼品などの準備・発送にかかる活動運営費などに使用させて頂いております。
だから、プロジェクトから脱線した活動をしているときは安田自腹ということで、『おいらたちの金で何遊んどるねん!』って怒らないでください。よろしくお願いします。
今日のスケジュールと訪問場所
今日の訪問場所は昨日と同じくコンポンチュナン州です。この週にある7個の自転車修理クラブにパーツを補給し、間に安田が支援する2人の奨学生の子に会ってきました。
朝のルーティンと朝食
朝からニャーニャー声がするのでチマオにエサやり。そしていつも通り朝6時半に集合。現地に向かう途中に朝ごはんをいただきました。
昨日はクイテウサイチュルーク(豚麺)でしたが、今日はクイテウサイッコー(牛麺)にしました。牛肉がのっているフォーです。おいしかったです。ようやく下痢もマシになってきた感じ。でもまだゆるいので油断大敵です。
コンポンチュナン州Baribo郡での活動
最初の目的地はBaribo郡です。ここにある2か所の自転車クラブにパーツ補給です。
学校に到着。
自転車クラブの運営の注意書きの説明。
ありがとうメッセージビデオの撮影。
そして子供たちの笑顔。(※昨日同様、この繰り返しですみません。)
2校目に到着です。
自転車クラブの運営の注意書きの説明。
ありがとうメッセージビデオの撮影。
そうそう、この写真に写る女性。2019年の訪問記で登場した元EDFカンボジアのインターンのユズキちゃんです。去年に続いて、今年もこの日だけですが参加してくれました。彼女は子供たちを笑わせる担当をお願いしました。
そして子供たちの笑顔
コンポンチュナン州Rolea B’ier郡での活動
そしてキャラバン隊はRolea B’ier郡へ移動してきました。こちらには3つの自転車クラブがあります。
学校に到着。こちらの自転車修理クラブは転々と移動してきた歴史がありまして、最初は2017年にカンポット州のROLUOS中学校に設立されました。しかし2021年に同じカンポット州のANG BREI中学校に移設されました。ROLUOS中学校はカンボジアのリゾート地シアヌークヴィル特別市に近いところにあります。開発が急ピッチで進んでおり、地価もあがっているとのこと。そうなると農地を売却する農家も増え、売却後は他の地域に引っ越していきます。だからROLUOS中学校の生徒数は激減。自転車クラブの需要が減ってしまったことが理由です。そしてさらに2023年にこのKIRISOVANVONG に移転してきました。
自転車修理クラブの運営の注意書きの説明。
ありがとうメッセージビデオの撮影。それにしてもすごい数の生徒さんが集まってくれました。
そしてうれしそうな生徒さんたち。
学校に到着。
自転車修理クラブの運営の注意書きの説明。
ありがとうメッセージビデオの撮影。ちょっと集まった生徒さんが少ないか・・・。
そして子供たちの笑顔の写真です。
学校に到着。
子どもたちと自転車プレートや自転車修理クラブの運営の注意書きプレートを貼るために両面テープをめくっているところ。子どもたちとわちゃわちゃしたくて、一緒にできる作業はなるべく子どもたちと一緒にしようと思いまして。今日はユズキちゃんがいたので撮影してくれていました。
自転車修理クラブの運営の注意書きの説明。
ありがとうメッセージビデオの撮影。
子どもたちの笑顔の写真です。
昼ごはん
川魚フライに納豆と野菜の炒め物をのせたもの。
鶏肉と野菜のスープ。
空心菜の炒め物。
魚とキノコのスープ。・・・ただ魚が鱗付いたままだったので、皮をはぎながら食べたのですが、スープも鱗だらけでなかなか難易度の高いスープ。味はおいしかったのですが・・・
デザートのスイカです。
コンポンチュナン州Kampong Tralach郡での活動
午後はKampong Tralach郡での活動。昨日の車両トラブルで回れなかったところを回ります。
学校に到着。
自転車修理クラブの運営の注意書きの説明。
ありがとうメッセージビデオの撮影。
そして子供たちの笑顔の写真です。オッサンの安田の顔が写りこんでいてすみません。
このあと、この学校に通う中学1年生の奨学生に会ったのですが、その話は後述いたします。
学校に到着。こちらのANG SEREY中学校は、2016年のカンボジア自転車プロジェクト元年。最初にできた自転車修理クラブ。そう、通し番号でNO1の自転車クラブです。
最初のクラブでも生徒さんたちは移り変わっていくのでちゃんと自転車修理クラブの運営の注意書きの説明をします。
そしてありがとうメッセージビデオを撮影。
最後に子どもたちの笑顔の写真をどうぞ。
奨学生にあってきた!!
Chhorn Narin Rosekaちゃん
安田がダルニー奨学金を通して支援している子にあってきました。ダルに―奨学金は中学生の支援。昨日のブログで紹介しましたミエン・スレイ・フォスちゃんは今回高校生になって安田がダルニー奨学金を通さずに支援しているわけです。そしてダルニー奨学金の方は、再び中学1年生の新しい子を支援する仕組みとなっています。その新しい子が今回のチョーン・ナリン・ロセカちゃんです。
そのロセカちゃんに色々と質問してみました。現在は中学1年生の12歳。得意科目は数学。家から学校までは1キロぐらいで祖母の自転車で通っているとのこと。家族のことをきくと・・・
泣いちゃいました。
お父さんは48歳で亡くなってしまったのだそう。悲しませる質問をしてしまいました。現在はお母さんと高校3年生のお姉さんと暮らしているのだそう。安田がこれまで見てきた貧困家庭の多くは父親が死亡か離婚・又は失踪でいないケースがほとんど。ロセカちゃんファミリーの今後のことを考えると色々と胸が詰まります。
詰まってきたんで鼻の奥がツンとしました。でも絶対に泣いたりしません。日本からやってきた今日会ったばかりのオッサンの涙なんて1円にもなりません。ぐっとこらえて・・・
「将来の夢は?」と質問。
警察官になりたいのだとか。地域を守る仕事として尊敬しているのだとか。
「じゃあ、そのためには勉強がんばらないといけないね。」
安田は続けました。
「がんばってロセカちゃんのサポートを続けます。高校に行きたいんだったら高校の学費もサポートします。大学に行きたいんだったらその学費もサポートします。学費のことは気にしないでください。他にも色々困難なことはあると思うけど、まずは勉強をがんばって夢をつかむために前に進んでください。」
ロセカちゃんは強くうなずいてくれました。そして最後のお別れのタイミングでポチ袋に入ったプレゼント。彼女に一番必要なものです。そのとき、思わず立ちあがって「サンキュー!」と英語で彼女はお礼をいって笑顔になってくれました。安田を含めてまわりがびっくりしたので彼女は照れくさそうになりみんなで最後に笑いました。
悲しい質問をしてしまいましたがいい出会いになりました。
彼女と別れたあと、車の中でユズキちゃんに話したことがあります。
彼女はいまものすごい困難な環境で暮らしているんだと思います。これからも大変んなことがたくさん待ち受けてるでしょう。安田ができることはサポートし続けることだけ。ダルニー奨学金は中学3年で終わり。でも高校も大学もサポートしてくれる日本から来た変なオッサンに彼女は出会いました。10年後、彼女は大学を卒業し警察官になるという夢を果たし、こう思うのです。「すごく苦しい子供時代を過ごしてきました。でもヤスダというオッサンに出会えたことは私にとって幸福なことでした。」と。そう願ってもらうための10年サポートがスタートしたのです。先日53歳になった安田は10年後63歳。一生懸命働けばいいだけのことです。
10年サポートのスタートの話のあとは、10年サポートの9年目まで来た彼女のお話しです。
Linnaちゃん
ロセカちゃんのあと、リンナちゃんにも会ってきました。
リンナちゃんって誰?
なんどかブログで紹介しているリンナちゃんですが、改めて彼女のことをご紹介します。
リンナちゃんは2015年から支援をしている、安田にとっては初めての奨学生です。こちらの写真はその2015年、民際センターから送られてきました写真です。2015年にカンボジアを訪問し実際にあってきました。そのときは「将来は看護師さんになりたい」と夢を語ってくれました。
3年後、に再び会ったとき、「進学したい。支援をお願いできないか。」というお願いをうけて民際センターさんの奨学金制度「ダルニー奨学金」とは離れて自分で高校で勉強するための支援を継続しました。
こちらが高校3年生となったリンナちゃん。無事高校を卒業しました。
高校を卒業したあと、近くの工場で働きだしたと聞きました。(コロナの影響で安田が彼女に会いにいけなかったため、EDFカンボジア(民際センター)さんから聞いた話です)
その事情は簡単に離すと、「看護学校が学校から遠いところにしかなく、寮に入ると祖母の世話をする人がいなくなる。」ということでした。そればっかりはどうしようもない・・・と安田は口出しせず彼女の幸せを願っていました。
こちらは2022年のとき、コロナがあけて3年ぶりにリンナちゃんに会ったときの写真。
当時のことを綴った安田のブログから引用します。
彼女、今は衣料関係の工場で働いています。月給は200ドルほど。ちなみにカンボジア政府は2023年の最低賃金を200ドルに定めました。※2022年は194ドル
だから最低賃金に近い収入となります。ただ、安田はこれを肯定的にとらえています。最低賃金なんか守られていない国なんです。農業従事者や日雇労働者は仕事が安定せず最賃なんかよりもっともっと安い賃金で働いています。彼女は高校を卒業し工場勤務という安定した仕事を得て2022年の最賃以上の収入を得ているわけです。彼女の家庭の貧困度合いはそれはすさまじく、2015年に訪問したときに「あなたの家庭が村の中で一番貧乏です」という村役場からのお墨付き(これがあると病院などが無料になる)を見せてもらったことがあります。
がんばって働いて貧困脱出。カンボジアの子供たちは皆、「貧乏だから金をくれ」とは言いません。「貧乏から抜け出すチャンスがほしい」と言います。彼女は看護師の夢は横においた状態ですが、貧困脱出のきっかけとなるチャンスをきっちりつかみ、努力し、そして自ら切り開いたと思っています。そんなことを思っているとまた涙腺が崩壊しそうに・・・泣きませんけど・・・安田の涙は1円にもなりませんから。
そうそう、彼女。念願のスマホをゲットしていました。51歳のオッサンが19歳のレディに「SNSでつながりませんか?」と申し出。リンナちゃん、本当にごめんなさい。あの環境では断れないよね。あとでブロックしてもいいからね(^^;
というわけでSNSでつながることができました。
そして彼女にメッセージを伝えました。
「もし、何か困ったことがあったら、EDFのチャンディさんでも安田でもいいから必ず連絡ください。力になります。そのために仕事がんばります!」と。
看護師の夢の話は一切しませんでした。
夢なんか実現しなくってもいい。
夢なんか何回変わってもいい。
夢なんか無くってもいい。
とにかく幸せになってください。
会ってすぐ、挨拶を済ませたときに彼女は「中学高校とサポートしてくれてありがとうございました。進学できなくてごめんなさい(チャンディさん通訳)」といいました。あなたは謝ることなんて一つもしていない。ずっと貧困のなかでがんばってきたあなたにずっと勇気と元気をもらい続けていました。お礼を言うのはこちらのほうです。
そういえば、彼女、今日のために仕事を1日休んでくれたそうです。安田のせいでお給料減っちゃいますね。(有給休暇とかあるのかどうか知りません・・・)ごめんなさい。そして持参したポチ袋を渡しました。クリスマスプレゼントかお年玉みたいなもんでしょうか。もう前みたいに食べ物とかのプレゼントはいりません。一番使い勝手のいいものを渡しました。何かの足しになればと思います。
彼女は終始笑顔でした。その笑顔があればこれからも幸せにやっていけるのではないかと信じています。彼女の将来に1つでもたくさんの楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことが訪れることを願っています。
まさかの急展開
スマホを通してSNSでつながったリンナちゃん。ある日、学校の募集要項の写真を送ってくれました。
「そうだよね。学校行きたいよね。いつかいけるといいよね・・・」
なんて、思ってたんです。
でも彼女は「ここの学校に行きたいんです。来月までに申込しなければなりません。サポートしてもらえませんか?」と簡単な英語で伝えてきました。
「えっ、おばあちゃんは?お世話しなくていいの?」と疑問に思った安田は、EDFカンボジアのチャンディさんに間に入ってもらいました。というのもリンナちゃんも安田もブロークンな英語で話していて、細かいニュアンスが伝わらないからです。EDFカンボジアのチャンディさんに連絡を取ってもらうことにしました。そしたら・・・
リンナちゃんは自宅から通える看護学校を見つけてきて、ここの入学を希望している。通う期間は3年間。毎年〇〇ドル必要だがお金がない。だから支援をお願いしてきた。
ということでした。そして
手続きはあと2週間ぐらい。試験は彼女は成績優秀だったからおそらく大丈夫。
とも。
安田の気持ちは1秒で固まり、即送金。「3年間何がなんでもサポートするから勉強して夢をつかんで!」とSNSを通してリンナちゃんにも伝えました。
そんな彼女の自転車
奨学金を通して知り合ったリンナちゃんですが、カンボジア自転車プロジェクト2016で自転車を受け取っています。
下の写真はその翌年2017年に訪問したときのもの。通学に自転車は大切に使われているようでした。
先日SNSのテレグラムで彼女に「あの自転車まだ使ってる?」と聴いたら、「もちろん!」と返事が返ってきました。「もしよかったら写真送って!」とお願いしました。看護学校と病院での実習で超大忙しの彼女。お願いしてから約1か月後、写真が贈られてきました。
そして2024年の再会
彼女は週5は学校、週2でインターンとしてクリニックで勤務しています。学校の勉強などもあり空いている時間はほとんどなくすごく多忙。今日は彼女は勤務日だったのでクリニックまで会いに行きました。
彼女とっても元気そうでした。もうすぐ3年生に進級します。進級テストは無事にクリアしたとのこと。あと1年がんばれば看護師に・・・と思って聞いてみたら、やっぱり最後は看護師のライセンスを得るための試験があるとのこと。2015年に始まったリンナちゃんの10年サポートは今9年経ちました。あと1年で彼女はずっと言ってきた「看護師になりたい」という夢をつかもうとしています。「来年も会いに来るから、看護師のライセンス証ゲットして見せてくださいね」と伝えました。そして彼女にもポチ袋をプレゼント・・・プレゼントしたときに不調の続く安田のお腹がキリッと痛みました。
あっ。EDFのヴィリャックさんにもらった薬もうなくなるけど・・・もしかしてリンナちゃんのクリニックで買えるのかな?
そう、思って聞いてみました。結果はOKとのこと。というわけで一緒に彼女の働くクリニックに行ってみました。
安田はまだ中に入ったことがありません。こんな機会はもう2度とないはずなので、外で待つのではなく、図々しく中に入っていきました。
こちらが看護師(の卵)として働くリンナちゃんです。なんか・・・2015年に会ったとき、一度も笑ってくれなかった、そして着古したボロボロの服を着ていた彼女の姿を思い出しました。彼女が本当にこれまでずっと頑張り続け、そして立派にクリニックで働いている。その姿をすごく近い距離で写真や動画ではなく生で見られることができて、もう気分は最高でした!先生は「下痢以外に症状は無い?」とサービスで聞いてくれて、「はい。熱も腹痛もありません。」と答えました。親切な先生。きっと職場の雰囲気もいいでしょう。彼女のことよろしくお願いします。一人前の看護師になるためにしっかり鍛えてあげてください。あっでも職場恋愛とかはご勘弁を・・・でも相思相愛なら先生は経済力がすごくありそうだからいいお話なのかも・・・とかわけのわからない妄想が頭のなかでグルグルまわっていました。
こちらが受け取ったお薬です。彼女が薬棚から取り出し、数を数え、封入し、先生に飲み方を確認し、説明シールを貼り、そして手書きで回数と「食後」のところのチェックを書いてくれました。彼女がかなえたかった夢(まだ卵ですが)の仕事を安田のために行ってくれました。料金をきくと2.5ドル。もちろん安田にとってはプライスレス。お客さんとしてお支払いし、クリニックの売上になり、彼女への人件費になります。
9日から始まった下痢。この日のためだったんですね。結果オーライ。この薬は安田の宝物だから飲みませんけど、下痢がおさまらなかったら1回だけ飲むかもしれません(^^;
晩ごはん
今日の任務は完了。プノンペンに戻ってきました。そしたらチマオが待っていました。
今日でユズキちゃん、そして写真に写っていないので登場する機会がありませんでしたがユズキちゃんと一緒に参加してくれたオダギリくん。今日1日のみの同行でしたので一緒に食事をしましょうとお誘いしました。そして明日からのキャラバン隊に日曜日まで同行する新たな同行者吉川さんがちょうど空港からホテルに到着するタイミングと会いそうだったのでみんなで食べに行くことにしました。
こちら食べ終わってホテルに戻って撮った集合写真です。右からオダギリくん、花堂さん、吉川さんです。吉川さんについてのご紹介は明日のブログで記載いたします。
ちなみに昨日はピザ屋さんでしたけど、今日は違うピザ屋さん。ユズキちゃんのリクエストで決まりました。
オーダーも彼女にお任せしましたので、料理名が何かわかりませんが何となく想像つくと思いますので省略させてください。
ホテルに戻って前掲の集合写真を撮って、解散。でも吉川さんとはもう少し話をすることになりました。2軒目に行こうかと思っていたのですが、王宮のことを言われたので、「ライトアップがきれいだから、コンビニでビール買って見に行きませんか?」とお誘いしました。そして王宮でしばらく話した後、次は安田の格安クルージングの話になったので、「今から行きますか?」とお誘いしました。
実はこのクルージング。ここ数年毎年乗ってるのですが、「今年は無理かなぁ」と思っていたんです。思いがけず乗ることになって本当にラッキーでした。
今日もたくさんの子どもたちの笑顔に囲まれ、新たな奨学生ロセカちゃんと出会い、リンナちゃんからお薬を購入し、同行してくれたお三方と食事をし、最後は大好きなクルーズ。本当に楽しい一日でした。
皆さん、最後までご覧いただきありがとうございました!