カンボジア訪問記2024 12日目 2024/12/19 やっと会えた!クメール語の先生

皆さん、こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。今日は12月19日。安田が同行する自転車プロジェクトの現地活動は昨日までで終わりました。残りの自転車修理クラブのパーツ補給はEDFカンボジアが後日行ってくれることになっています。今日から番外編をお伝えします。

ここでいつものご留意事項が1つ。毎年のことなのですがこのカンボジア訪問は渡航費用・滞在費は安田の完全自費で行っております。
皆様からご協力いただいたご支援金は自転車や修理クラブ用の工具や交換パーツの購入、寄贈セレモニー等の実施費用、クラウドファンディング手数料と返礼品などの準備・発送にかかる活動運営費などに使用させて頂いております。
だから、プロジェクトから脱線した活動をしているときは安田自腹ということで、『おいらたちの金で何遊んどるねん!』って怒らないでください。よろしくお願いします。

まずは昨日の夜から

前日の18日、EDFカンボジアの面々とお別れしました後からブログはスタートします。

ホテルに戻りましたらチマオがいました。留守の間、元気にしていたみたいです。エサタイム。

そして、ギリギリでしのいでいた衣類の洗濯を済ませました。

そのあとは長距離バス乗り場までジョンに連れていってもらいます。その途中でちょっと一杯。

牛肉たれ焼き。

かえる。

牛肉のホルモン焼き。

深夜長距離バスでシェムリアップへ!

夜11時出発(シェムリアップ到着は翌5時)の長距離バスです。ガイドさんのおすすめでLarryta Expressという会社にしました。

受付でバスチケットを見せて確認。

そしてこれが今回の安田の席。フルフラット。ちなみに安田の身長は168cm。ギリギリですけど足完全に伸ばせました。装備品は枕、薄手の毛布、水、歯ブラシでした。

寝てみました~。EDFカンボジアのメンバーとの1次会、ジョンとの2次会でビールたくさん飲んだのでバスが出発後はすぐ寝落ち。ブザーで目を覚ますとそこはもうシェムリアップでした。

やっと会えたガイドさん!

「やっと」といいましてもバス停で迷ったわけではありません。その訳を説明します。

今回お願いしたガイドさんはKAMPU JHCという会社です。こちらの会社、日本語ガイドの会社なのですがコロナ期に観光客が来なくなりました。存続のためにスタートしたのが日本人向けのクメール語講座です。YouTubeチャンネルもあります。

「日本語ガイドのおもしろクメール語講座」

クメール語を学びたいと思ってネットで色々検索しているときに見つけました。先生たちはとっても陽気でおもしろかったのでチャンネル登録。

そして今年、子供たちの前でクメール語スピーチをするためにこちらの会社にオンライン講座を申し込んだのでした。クメール語スピーチはこちらの先生方のおかげで大成功。今回の旅で1日だけ空白がありましたので長距離バスの往復という弾丸ツアーで、先生方の本来のお仕事である日本語ガイドをお願いしたのでした。

ガイドのピーナー先生

こちらが本日ガイドをしてくれますピーナーさん。安田にとってはクメール語の先生でもあるので、「ピーナー先生」とお呼びしていました。YouTubeチャンネルでは「タコ焼き大好き」と自己紹介されています。大阪人の安田の血が騒ぐ。いつか大阪でたこ焼きごちそうさせてください。

アンコールワットの日の出

アンコールワットの入場料(1日券)はオンラインで購入済みなので、チケットセンターには寄らず早速観光スタート。最初はアンコールワットの日の出です。

真っ暗だったんですが少しずつ夜が明けてきました。

この夜の紺色と朝のオレンジ色のコントラスト大好きです。そしていつも思い出すのが「かたわれ時」、そう映画「君の名は」です。ピーナー先生に映画のことなど話しながら時間は過ぎていきました。

池に写る逆さアンコールワットの写真が有名ですが、いま、左側の池は修復工事中。右側の池だと逆さアンコールワットが撮れますが朝日とだいぶ離れた位置になります。

ピーナー先生は「おすすめは左の池でアンコールワット近くから登る朝日を見たあと、ゆっくり右の池に移動すればいい」ということでした。というわけで上の写真は左の池の前で撮っています。

こちら、日の出をカメラに収めようと集まった観光客。

その後、右の池に移動してきてアンコールワットを背景に記念撮影。はい。こちらの写真、上下逆です。でもアンコールワットは写っている・・・池に反射したアンコールワットを上側にして載せてみました。     

朝食

こちらの食堂兼おみやげ売り場で朝食。先生は「観光客向けのしっかりレストランとローカルな食堂どっちがいいですか?」と聞いてくださいましたが、もちろん「ローカルで。朝はクイテウが食べたいです。」とお願いしました。

こちら、いつものクイテウサイチュルーク。揚げパン付きです。お会計のときの表現などクメール語も色々教わりました。

アンコールトムの見学

南大門

アンコールトムの南大門に移動してきました。

アンコールトムは1辺約3kmの城壁に囲まれた王都です。門が5つあってこちらが南大門。他に西大門、北大門、勝利の門、死者の門があります。南大門は正面原版にあたります。勝利の門は戦争に行くとき、勝利して帰ってきたときに使う門。そして死者の門は戦争で亡くなった人たちを運び入れるための門です。死者が通るということで不吉だからカンボジア人は今でも通りたがらないんだとか。

橋の欄干はヒンドゥー教のお話「乳海攪拌」がモチーフになっています。不老不死の薬を手に入れようと神様と鬼(アスラ)が長い蛇(ナーガ)の両方をもって海をかき回すという話。こちらはアスラ側です。写真左にナーガの頭部が写っています。

損傷がはげしく少しずつ修復が進んでいます。一番手前が修復後のアスラ。奥が修復前のアスラです。

こちらは欄干の反対側。神様側です。さて、アスラ側にも写っていたナーガの頭部がこちらにも。1匹の蛇だったら片方はしっぽのはずです。アンコールワットの回廊のレリーフにもこの物語は彫刻されていまして、そちらは片方はしっぽになっています。でも橋の欄干。デザイン性を考えて両方を頭にしたのだとか。確かにその方がかっこいいですもんね!!

こちらも修復前後の神様の像をどうぞ。

さて、こちらの写真、見たことある人多いと思います。南大門。門の上部には4方向に渡って観世音菩薩が彫刻されています。アンコールワットはもともとヒンドゥ教の寺院で12世紀初頭に作られました。こちらのアンコールトムはそれから数十年経った12月末、ジャヤバルマン7世によって建てられました。とても力をもった王様で、クメール王国の宗教を仏教(日本と同じ大乗仏教)に改宗を図ります。だから観世音菩薩。でも強引に進めすぎると民衆が戸惑い反感を買うかもしれないということで観世音菩薩の下部には小さなヒンドゥ教の神様も彫刻されています。ちょうど過渡期にあたる彫刻ということになります。

4面に彫刻を入れたのは東西南北、すなわち世界中を見渡し、世界の平和への祈りを込めているといわれています。

こちら、南大門の裏側です。観世音菩薩の下に小さな神様が見えると思います。それがヒンドゥ教の神様です。

上記の情報、すべてピーナー先生が教えてくれたことで情報量が豊富。安田はメモをたくさん取りました。そのメモをもとに書いています。

バイヨン

次はアンコールトムの中心地「バイヨン」に移動してきました。

アンコールトムの中心にあるバイヨンは当時の宇宙観が込められていてメール山(須弥山)を象徴しています。前述の通り、ジャヤバルマン7世は大乗仏教に帰依していました。ヒンドゥ教の宇宙観を表したアンコールワットからこちらに都を移してくる際に、アンコールトムでも宇宙観を表現する必要がありました。でも宗教が異なるので違った宇宙観で表現されているわけです。

入口付近の涅槃像。

たくさんのアプサラ(踊り子)たち。

アプサラだけでなくデヴァター(女神)像もたくさん見ることができます。 

仏陀像。

一番の中心地、中央祠堂は2020年から修復工事が始まって今は立ち入り禁止。

たくさんの塔からなるバイヨン。ジャヤバルマン7世は当初54の塔を作りたかったそうです。9の倍数はとても縁起の良い数字とされていました。49棟まで作ったのですが残りは5つの門を塔の形にすることで合計54としました。ちなみに54という数字は当時のクメール帝国の州の数だそうです。国の平和を願ってその数にそろえたのでしょうか。

こちら、大乗仏教の寺院なのにヒンドゥ教の神の彫刻があります。ジャヤバルマン7世はヒンドゥ教から大乗仏教に改宗を進めたのですが、その後、次の王様がまたヒンドゥ教に戻したのです。だから彫刻されていた菩薩像などのレリーフをはがしとってヒンドゥ教の神を新たに彫刻しました。少しスペースがせまくて足の組み方などに無理があります。

塔がいたるところにあって一人で回っていたら絶対迷子になっていました。ピーナー先生は頭のなかに順路が入っているらしく効率よく見て回る道を案内してくれました。

こちら、12世紀に造られたお釈迦様像。蛇も仏教徒になりたいと願ったのですが叶わず。そこでお釈迦様を守ることに徹することにしました。

実はこの蛇の部分、一度盗まれたのか切断されてしまいました。その後修復されたようです。

バイヨン第一回廊南東の東側

ここから壁画のスタート。

こちら、チャンパ軍と戦いに行くクメール軍の行進の様子です。偉い人は象に乗って。槍などの武器を携えています。

なぜ「クメール軍」とわかるかといいますと、耳たぶが長いからです。この頃のカンボジアの人たちは生まれたころから重いピアスをする習慣があって、その重みのせいで耳たぶが下に垂れ下がっているのです。壁画をみて「これは何人?」と思った時、耳が長ければクメール人。ひげを生やしていれば中国人など。ピーナー先生が教えてくれました。

旗を掲げている人や銅鑼を持っている人もいます。とても勇ましく迫力のある行進です。

 

こちら耳が長くありません。そしてひげが生えている。そう、中国人です。クメール軍の中には中国人も混じっていたのです。

こちらから行進の後半部分。実は行進するのは兵隊だけではありません。戦争に勝つとその土地を占領して暮らし始めます。だから家族も総出で様々な物資を運びながら行進を共にしました。写真中央は子供を肩車する姿も現されています。

こちら何をしている様子でしょうか?当時の様子に思いをはせて想像力を働かせます。

ペット(家畜)のイノシシです。

こちらは樹に上って木の実を取っているところ。鳥の姿もあります。捕まえようとしているのでしょうか。

左側の二人組。左の人は背中に捕まえた鳥を背負っています。右の人は弓矢を構えています。もう1羽捕まえようとしているようです。

よく狙ってね。

こちら、左の女性が右手に持っている四角い物体。こちら亀です。食べるのか、ペットなのか。面白いのは右側の男性(兵士)の右手に亀が嚙みついていて「痛いな!!」って後ろを向いている瞬間の姿なのです。

少し場面が変わります。クメール人の兵士たちが何やら槍をもって左側に向かっています。槍を構えている人もいますが、まだ戦争は始まっていません。

たくさんいます。どうしたのでしょうか・・・

答えに近づいてきました。

答えはこれ。実は水牛に槍を刺しているのです。ヒンドゥ教の信仰で、水牛の血を混ぜたお酒を飲むと戦争に勝てると信じられていました。だから水牛が生贄になっている様子です。目を大きく見開いた牛さん。悲しげな表情でかわいそうです。

こちらはまた場面がかわりました。上下に分かれていますが、上の段は女性向けの学校の様子。下の段は中国人向けの学校の様子です。当時、クメール人の男性向けの学校は珍しくなかったのですが、この当時に女性向け、外国人向けに新しく設けられたためレリーフに残されています。

中国人の学校の一番右端。生徒が居眠りしている様子。

この人は先生に質問しているのでしょうか?それにしてもとっても賑やかで楽しそうです。

次は食べ物を調理している様子です。お鍋に鳥を入れるところ。ひげを生やしているので中国人。これは中国人の宴会をしているシーンとのことです。

宴会といえばビール!ってつい思ってしまうのですが当時のお酒はどんなお酒だったのでしょうか?

こちらはアプサラのダンスショーを観劇するクメールの兵士たちです。

踊ったり、楽器を弾いたり楽しそうなシーンです。

バイヨン第一回廊南東の西側

さて、こちらのお方、ジャヤバルマン7世の後妻になる方、インドラデーヴィー。ちなみに前妻のお姉さんです。こちらの方は留学をして外国の最先端の考え方などを学び、前述の女性や外国人のための学校を作るなど教育に尽力しました。ジャヤバルマン7世が広めようとした仏教も深く学んだようです。

こちらはジャヤバルマン7世の最初の奥様ジャヤラージャデーヴィー。そう前の写真の方の妹にあたります。ジャヤバルマン7世が戦争で死んでしまう夢を見て、そうならないよう願いを込めて1週間の断食を行います。ジャヤバルマン7世は無事だったのですが、この奥様はその断食が原因で亡くなってしまいます。そしてその直前、姉に後のことを任せたわけです。

さて、ここからはクメール軍とチャンパ軍の水上での戦闘の様子と狩りをしたり魚を焼いたり、闘鶏を楽しむ人たちのレリーフが始まります。

下段の生活の様子

まずは出陣前の娯楽から。こちらクメール軍の兵士たちがサーカスをみて楽しんでいる様子です。

下段のレリーフは生活感たっぷり。こちらの写真は火をおこしているところ。右の人はカゴを押さえていますが中に鳥か何か捕まえているのでしょうか。

こちらは木に挟んで魚を焼いている様子です。このように木に挟んで魚を焼くスタイルは今でも市場でよく見かけることができます。

獣に追い立てられ木に登って逃げる人。

鹿か何かを弓で狙っている人。背後からは別の獣がその人に襲い掛かろうとしています。

こちらは何をしている様子でしょうか?お互い向き合って何かをしています。

こちらは横たわっている女性と獣?の姿が見えます。

そしてこちらなんとナンパしているところだとか。右側の男性が交際を申し込み、左側の女性がOKのサインで手を差し出している様子です。

こちらは闘鶏をしている様子です。カンボジアでは鳥や犬、虫など様々なものを戦わせる文化がありますが、それはなんだか日本と同じように思います。

再びナンパのシーンだそうで。後ろから髭をはやした中国人がなんだか茶化しているような様子です。

こちらは犬(イノシシ?)を戦わせているところ。

この無数の穴はなんでしょうか。。。。はい。悲しいかな、ポルポト政権期、クメールルージュの兵士が銃の練習の標的にした痕です。こうした痕が色々なところで見られます。

上段のクメール軍とチャンパ軍の戦いの様子

クメール軍とチャンパ軍の水上戦の様子です。こちらは耳が長いからクメール軍。向かって左側で右から迫るチャンパ軍に向き合っている形です。船の下には魚や亀、ワニなどが緻密に彫り込まれています。その下部には鳥や鹿、人たちの姿も。下段と上段のレリーフが入り混じっています。

こちらがチャンパ軍。鎧を着て頭には兜をかぶっています。とても強そう!!

こちらが激突の場面。敗れた人が船から落ちています。その下にはワニが待ち構えています。

何段にも描かれた戦闘のシーン。チャンパ軍との戦いがジャヤバルマン7世にとってとても大きな意味を持っていたことがわかります。
クメール軍の武器や槍以外に弓もあったようです。兵士以外に頭だけですが船の漕ぎ手でしょうか。たくさんのクメール人たちが力を合わせて戦っています。 

チャンパ軍が激しく攻めてきます・・・あれっ?その足元の頭だけの人たち・・・クメール人です。チャンパ軍の船にクメール人が乗っている。

そう、クメール人は泳いでチャンパ軍の船に乗り込もうとしているのです。

戦闘は水上だけでなく陸地でも行われています。

戦闘を終えてのパーティ

戦闘が終わりました。勝利を祝うパーティが繰り広げられます。こちらは魚や獣を焼いている様子。頭の上にのせているのは生ビールジョッキ?いやいや、そんなはずは。なんでしょうか?

みんなで色々な料理を作っているようです。見ているだけでお腹がすいてきます。

上段のレリーフでは宴の様子が描かれています。皆おのおの向き合って食事をしています。

どんどん食べ物や飲み物が運び込まれていきます。

最後は大工や石工のお仕事の様子

こちらは大工や石工の働く様子だと言われています。そう、このバイヨンはほとんどが砂岩でできているのですが、切り出された石はとっても大きくて重い。石工は木の棒を通して皆で運ぶなど工夫したようです。

 タ・プロームの見学

タ・プロームに移動してきました。「タ・プローム」という言葉は聞いたことがある人が多いかもしれません。アンコール遺跡群を1日で回ろうとした際に必ずアンコールワット、アンコールトムと並んで観光コースに組み込まれる遺跡です。なぜならば・・・もちろん人気があるから・・・なんで?はい。2001年に制作された映画「トゥーム・レイダー」のロケ地になったことで有名だからです。そして、日本人にとってはもう1つ有名になった理由があります。それは後ほど。

入口は観世音菩薩がお出迎えしてくれます。

「なんだか、アンコールトムの南大門にににている・・・」

と、思った方。鋭い。アンコールトムはジャヤバルマン7世が建てた巨大仏教寺院ですが、こちらのタ・プロームはそのジャヤバルマン7世が母チューターマニのために建立した寺院なのです。ジャヤバルマン7世の時代は大乗仏教ですから、もちろんタ・プロームも大乗仏教寺院なわけです。

アンコールトムに比べると広さは及ばないのですが、それでも巨大な寺院であることに変わりはありません。

こちらの2種類の岩についてガイドのピーナー先生が教えてくれました。左側が砂岩。右側がラテライトです。ラテライトはたくさん採れるのですが、硬くて彫刻などの加工が難しく、また無数の穴が開いています。硬いから土台部分などに用いられ装飾部分は砂岩にするなど使い分けられたようです。

いっぱい崩れています。損傷が激しくて、色々なところで修復作業が行われています。修復はインドの支援によって行われています。ただ、タ・プロームはこの崩れている様子がある意味人気なので、どこまで修復したものか議論が交わされているようです。

その、タ・プロームを今も破壊し続けている犯人がこちら。ガジュマルの木々です。

ガジュマルの多くはなんと寺院の屋根から生えています。その理由は鳥のフン。種を食べた鳥が屋根でフンをする。フンの栄養もあって、カンボジアの豊富な水もあって発芽し何百年もの歳月を経て屋根の上の大木になるわけです。もちろん根は地面をもとめて下ります。隙間があれば入り込み、そして根はやがて太くなり寺院を破壊していくわけです。

これを修復するっていったいどうやるのでしょうか?ガジュマルの木を切り、根を取り除き、バラバラになったブロックのそれぞれの位置を同定し積み上げていく・・・気が遠くなります。

「なんだか・・・ラピュタみたい」

そう。前述した日本人にとって人気の秘密は「トゥームレイダー」もそうですが、「天空の城ラピュタ」を思い出させる遺跡としても人気があるのです。

ラピュタの話をピーナー先生から聞いたときに少しジブリ映画について雑談しました。ピーナー先生もジブリ映画が大好き。もちろん日本語がペラペラなので字幕も無しで見られます。
安田はラピュタに関しての雑学をお話ししました。
日本には金曜ロードショーといってテレビで映画をやる時間帯があって、ときどきジブリ映画も放送されます。とくにラピュタが放送されるときはみんなが楽しみにしている瞬間があります。それは主人公のシータとパズーが最後に唱える破壊の呪文「バルス」。それが唱えられる瞬間、皆がX(Twitter)で「バルス」と投稿するいわゆる「バルス祭り」があるということ。それで2011年にはTwitterのサーバーが落ちてしまったことがあります。
ピーナー先生、是非とも次回のガイドから「バルス祭り」のこと触れてくださいね(#^^#)

ちなみにタ・プロームには木の根にのみこまれてしまい、隙間から顔だけのぞく仏像があり、撮影スポットとしても有名。いろいろなガイドブックにも掲載されています。しかし、その木は倒れてしまっており今は見ることができないとのことでした。
時が止まっているかのように見える遺跡であっても刻々と状態は変化していきます。「いつか見たい」と思っている遺跡が明日もその状態であるとは限らないのです。

ちなみに崩れてしまったがれきですが、それぞれのブロックの位置の同定。最近はAIが活用されているとのことです。こうしたところでもAIが活躍しているなんて、なんだかびっくりです。

こちらの仏像。頭がなくなっています。実はこのあたりは一時期タイの領土になってしまいました。シハヌーク殿下の時代にフランスの力を借りてカンボジアに返してもらったのですが、タイが引き上げるときに持って帰られるものを持って帰ろうとして仏頭のみを持って帰ったんだとか。

タ・プロームの中にはその当時にはぎ取られたとみられる部分がたくさんあります。

ここのくぼみ。なんだと思いますか?ここの中に入って自分の胸を叩くとすごく響くんです。胸以外のところを叩いても響かない。安田も試しました。響くんですが、くぼみの外で聞いている人には響いて聞こえない。すごく不思議な場所です。

ピーナー先生いわく、秘密や問題を抱えている人がこの場所を訪れて自分の胸を叩き、それが無事におさまるように祈った(占った?)場所なんだとか。だから秘密が無い人は響かないそうです。ピーナー先生の13年のガイド歴のなかで響かなかった人は一人だけ。その人は数年後に再度ここを訪れてもう一度試したのですがやっぱり響かなかったそうです。

安田は・・・大きく響きまくり・・・ピーナー先生から「奥さんに言えない秘密がありますか?」と意地悪な質問をされました。そんなのあるわけが・・・。

こちら、壁に無数の穴が開いています。研究では建立当時、この穴にそれぞれ宝石が埋め込まれていたそうです。

この穴全部に宝石・・・とするとすごいきらびやかだったに違いありません。ちなみにすでに全穴をくまなく調査済みでもう宝石は1つも残っていないそうです。

ちなみにこのタ・プロームはジャヤバルマン7世が母親のために作ったと言いましたが、ジャヤバルマン7世は父親のためにも寺院を建立しており、この壁にたくさんの穴がある部屋が発見されているそうです。ただ穴の数や穴の大きさは比較すると小さめだそう。「いつの時代もも女性は宝石が大好き」とピーナー先生がつぶやいていました。

さて、このあたりを歩いているときに・・・ピーナー先生からクイズが。

「ラピュタの風景もそうですが、もう1つ日本の超有名なアニメの原作がタ・プロームにはあります。なんだと思いますか?」

むぅ・・・難しすぎる。何でしょうか?

それは・・・と見せていただいたのが次の写真です。

そう、アンパンマンです。

「そんなむちゃくちゃな!」と反論しつつも・・・確かに似ている。一度見たらもうアンパンマンにしか見えない・・・結構険しい目つきなのでアンパンチでバイキンマンをやっつける瞬間でしょうか・・・当時、アンパンマンは11人もいたんですね。

そのすぐ近くにありましたデバター像です。彫りが深くてとても美しいです。

さて、タ・プローム遺跡の見学もそろそろ終盤。

みなさん、こちらをご覧ください。

恐竜のレリーフです。タ・プロームが建てられたのは12世紀です。考古学や科学が進んだ今は、当時の恐竜の姿を描いたCGなどをよく見かけますが、12世紀では・・・どうなっているのでしょうか?謎だらけですが・・・①当時実は恐竜はまだ生きていた②12世紀当時、クメール人はものすごい科学力を持っていた③当時訪れた宇宙人に教えてもらった・・・など様々な空想が広がっていきます。

こちらは巨大な鳥にまたがる人。当時崇拝された神様なのかもしれません。

以上がタ・プローム遺跡の見学した内容でした。

KAMPU JHCの皆さんとお昼ご飯

安田にとってのYouTuberアイドルの先生方とご一緒にお昼ご飯をご一緒しました。

メインディッシュは焼き鳥。

カエル餃子(中に具材が詰め込まれています)

こちらごはん。白米と赤米のハーフアンドハーフ。開けたところを写真撮るの忘れました。

レアなお肉のサラダ。

空心菜と鶏モツの炒め物。

魚の練り天。

こちらの昼食では、23日に控えたチャンディさんの息子さんの結婚式の案内状について教えてもらいました。全部クメール語だったので地図すら読めなかったのです。カンボジアの結婚式の風習など色々教えてくださってありがとうございました。

観覧車デート!?

昼食で話題にあがった観覧車に乗ってきました。

こちらの観覧車。日本の遊園地にあったものを移設してきたものです。詳しくはウィキペディアに書いてありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4

大人1名12ドル。ピーナー先生はガイドさんなので無料です。

こちら、車窓からの風景。ジャングルの奥に・・・アンコールワットの中央塔だけが顔を出していました。探すのに一苦労。先生に教えてもらいながらやっと見つけたころには観覧車は一番高いところまで来ていました。ちなみに中はクーラーが効いてて快適でした。

アンコールワット

東側の裏参道から

お昼ご飯と観覧車デートを経ていよいよアンコールワットに着きました。バイヨンと並んで回廊のレリーフがとっても楽しみです!!

参道に咲いていたきれいなお花。

日の出を見たときは西参道から入りました。アンコールワットは巨大なお墓とも考えられているので西側が正面。今回は東側の裏参道から入りました。というのも、午後の日射しを遮る木々が多いのと、参道が短くアンコールワットにすぐ入れるからというピーナー先生の配慮からでした。

アンコールワットが近づいてきました。裏参道は観光客も少なめで日陰も心地よく、いよいよ中に入れるワクワク感が高まってきました!!

アンコールワットにはいたるところにデバター(女神)像たち。全部で2300体あるそうです。スカートの柄や装飾品、そして顔などすべて異なっています。まず像の数を数えた人がすごい!!

うっかり見過ごしそうなところにもデバター像がありました。ここから、デバター像を見つけるたびに写真を撮りましたのでデバター像の写真だらけになりそうです。

乳海攪拌(第1回廊南東の東側)

いよいよ楽しみにしていたレリーフの1つ目、「乳海攪拌」です。乳海攪拌はヒンドゥー教の天地創生の神話です。
昔々、神々とアスラ(悪神)は争っていました。多くの神々がアスラに殺されます。「私たちは神様なのにどうして死ぬんですか?」と最高神のヴィシヌ神に尋ねたところ、不老不死の薬「アムリタ」を手に入れる方法を知るのです。
大亀の甲羅に乗った大きな山を軸に巨大な蛇を巻き付け、右側から神様、左側からアスラが綱引きのように引っ張り合い海を攪拌します。争っていた両者が協力するのはどちらも「アムリタ」が欲しいからです。攪拌しつづけた時間なんと1000年!!海は乳海となりました。そこからアプサラ(踊り子)やヴィシヌ神の妻ラクシュミーが生まれました。そして最後に不老不死の薬「アムリタ」が得られました。
アムリタはほとんどを神様が飲みましたが、最後の1滴をアスラが飲んでしまったため、神様だけでなくアスラの一部は不老不死となってしまいました。

50mにもわたる乳海攪拌のレリーフの右側端です。こちら神様側。最後尾を引くのはサルの将軍ハヌマーンです。ヒンドゥ教の神話に出てくるスーパーヒーローです。

攪拌されている海にはワニや魚がたくさん。でもこの生き物たち、攪拌されすぎて大変なことになっていきます・・・

がんばる神様!

攪拌される海の生き物たち。

攪拌された海から生まれてきたアプサラも神様を応援します。

大迫力!!神様何柱いらっしゃるのか数えるの忘れました・・・

こちら神々を助けるブラフマー神。

攪拌される生き物たち。もう何がなんだかわからないグルングルンの世界。

オーエス!オーエス!観光客が一人もいない状態で撮れた奇跡の1枚!

こちら攪拌の中心部・・・激しく攪拌するので生き物たちの体がちぎれています。左に亀のしっぽが見えてきました。

こちらが乳海攪拌の中心部です。一番下になっている大きな亀の名前はクルマ。ピーナー先生いわく「日本語の車と同じなので覚えやすいでしょ!」とのことでした。クルマの上に乗っているのが山(ダイ・マハンドラ)です。その山のうえで乳海攪拌の指揮をとるのがヴィシヌ神。

ヴィシヌ神を挟んで左側からアスラのレリーフが始まります。

アスラ側にも踊り子のアプサラが舞っています。これはきれいな姿、踊りをアスラに見せて誘惑しているのだとか。

オーエス!オーエス!アプサラもがんばって踊っています。

こちらはアスラの偉い人でしょうか?たくさんの顔があります。

こちら側はワニや魚だけでなくライオンのような獣の姿も。

それも攪拌によって体がちぎれています。あっ亀も発見! 

左端にも偉そうなアスラ(?)が。そして大蛇の頭もしっかり彫られています。

ここで乳海攪拌のレリーフは終了です。さて、「アムリタ」を少しだけ飲んだアスラ。名前はラーフといいます。飲んだ瞬間を目撃した太陽神スーリャと月神チャンドラがヴィシヌ神に伝えました。ヴィシヌ神はすぐにラーフの首をはねます。そのせいでラーフは頭から上だけが不老不死となりました。怒ったラーフはスーリャとチャンドらを食べようとするのですが体がないため食べられた神様はすぐに出てきます。太陽神や月神が食べられて消えるのですがすぐに出てくる・・・そう、これが日食と月食の起源だと言われています。

天国と地獄(第1回廊南東の南側)

乳海攪拌のレリーフが終わり、南側に折れ曲がりますと今度は「天国と地獄」のレリーフが始まります。こちらは上段・中段・下段に分かれた3段構造で上段が天国、中断が天国行きか地獄行きか判決を待っているところ、下段が地獄を表しています。

こちらは乳海攪拌のところにはなかった天井の装飾。美しい彫刻が残っています。

いよいよ「天国と地獄」のレリーフのスタート。上段の天国は損傷が激しくあまり残っていません。その一方で中段と下段は保存状態がよく、特に下段の地獄は本当に恐ろしい描画が残されています。

全身に釘を刺される人。もちろん地獄のレリーフです。

地獄の番人が地獄に落ちた罪人をこん棒で殴りまくっている・・・本当に怖い。 

この下からイソギンチャクのように伸びているのは炎です。もちろん焼かれているのは・・・

焼かれているのは地獄に落ちた人たち。ピーナー先生が、「これは人間〇〇〇のシーンです」ってニコニコしながら説明してくれたのが正直一番怖かったです。〇〇〇はアルファベット3文字。キャンプやピクニックで皆が楽しむアレです。この「人間〇〇〇」という言葉が頭から離れません・・・

あちこちで「人間〇〇〇」。いや、これはお鍋でしょうか・・・

髪の毛を引っ張られ様々な地獄に連れていかれる人たち。

こちら、一部だけですが天国のレリーフが残されています。

これはいったい何地獄なんでしょうか。文献によりますと痛みが永遠に続く無限地獄なんだとか。正式名称を「アヴィーチ地獄」といいます。サンスクリット語で無限を表す「アヴィーチ」。この音をとって日本では阿鼻(アビ)地獄と呼ばれるようになりました。

そして、こちらが「天国と地獄」の主役とでもいいましょうか。大王のヤマです。日本では閻魔(えんま)大王の名前で親しまれています。18本の剣を持ち水牛に乗っています。ヤマが死んだ人たちに天国行きか地獄行きか判決を下すのです。

こちら、レリーフが少し赤みがかっていると思いませんか?昔は鮮やかに着色されていたと言われています。赤みがその色そのものなのか下地の色なのかはわかりませんが・・・この怖すぎるレリーフが色付けされていたということで、当時はもっと恐ろしかったに違いありません。

手に持つ剣を突きつけ判決を下しているところです。手を合わせて減刑を懇願する人の姿も描かれています。「こちらも閻魔大王」とするガイドブックが散見されますが、実際には左端の人がダルマ、その隣がチトラグプタです。人々の善悪を査定して悪人を罪業に応じた地獄に送る担当者です。他の文献によりますと、ダルマが判決を決める閻魔大王のところに人(魂)を連れてきます。そこにチトラグプタがその人の人生・行いを記した書類を閻魔大王に提出します。閻魔大王が天国行きか地獄行きかを決めてダルマが判決をその人(魂)に言い渡し、チトラグプタが執行するという手順なんだとか。

地獄行きが決まり、地獄へ落される人たち。そのすぐ傍では、木に逆さ吊りにされてこん棒で殴られる人の姿があります。

吊り下げられたり振り回されたり、もう何が何だか・・・地獄に落とされたからにはあきらめるしかないのでしょうか・・・ずっと・・・永遠にこの苦しみが続くの?

首に輪っかをつけられ、ひもで縛られ、番人に連れていかれる人たち。地獄にも鳥がいるんですね・・・空は何色で着色されていたのでしょうか。

こちらは地獄ではなく中段のレリーフです。籠に乗って運ばれる王妃です。

 

同じく籠に乗って運ばれる王のレリーフです。赤みがかっている部分が多いのはより多くの着色がされていたからでしょうか。

再び地獄。象に食べられている人いませんか?牙で串刺しにされているのでしょうか・・・

 

こちら審判へのお迎えのシーン。安田の記載は南面の東側(乳海攪拌の終わりの角)から始まっていますが、物語の時系列で言えば逆行しています。だから、地獄のシーン、判決のシーン、そしてその審判へのお迎えのシーンとなっているわけです。ご了承ください。

地獄ばっかり見てきたので少しほっとします。

こちらが「天国と地獄」の始まりの部分。3段の構造になっているのがよくわかります。

是非とも上段の天国に登りたいものです。

こちらは数少ない天国の様子。

そして再び地獄の様子。獣に食べられています。

以上が「天国と地獄」のレリーフです。ところでアンコールワットは前述のアンコールトムが作られたときより少し前でスールヤバルマン2世によって創建されました。この時代はヒンドゥー教が信仰されていました。だからインド古代の神話である「乳海攪拌」がレリーフとして描かれています。しかしヒンドゥー教には「地獄」という考え方はありません。しかしスールヤバルマン2世は自分の功績を示すために「天国と地獄」を記し自らは天国に行くために十分な功績を遺したと言いたかったのかもしれません。これらのことが根拠となり、アンコールワットはスールヤバルマン2世の墓とする考えが定説になっています。正面が西を向いていることもそれを表しています。  

写真に収めたデバター像たち

ここでは写真に撮った様々なデバターの写真を掲載いたします。

こちら、ガイドブックにもよく掲載されている歯を出しているデバター像。ちなみにピーナー先生にこのデバター像について話を振ったのは午前中でした。何気ない雑談を覚えてくれていてガイドコースには無かったこのデバター像をわざわざ見せてくれました。

安田:「よく雑談の内容とか覚えていらっしゃいますね?」
ピーナー先生:「お客様の話は全部聞き漏らしません。何気ない雑談の中にもその人の考え方や好み、希望なども含まれています。また話の内容からアンコールワットのことをどれぐらいご存じかも推測できますので、それでガイドとしてお話しする内容も変えたりしています。」

さすがです!!

こちらは第2回廊を外側から見たところ。壁面にたくさんのデバター像が彫り込まれています。

 

こちら、王様から勲章のメダルをもらったデバターの像。嬉しそうで誇らしげです。

こちら、中央祠堂です。壁にはもちろんデバター像が。見つけられますか?

      

こちらの十字のようなお花のような柄。どこかで見たことがありませんか?ピーナー先生曰く、「ルイ・ヴィトンもここからヒントを得たに違いありません」と言い切っていました。ラピュタにアンパンマンにルイ・ヴィトン、アンコールワット遺跡群には様々な起源があります。

           

十字回廊

十字回廊はアンコールワットの第1回廊と第2回廊の間にある部分。4つの淋浴池があります。

身を清める場所として重要であることと、スールヤバルマン2世が当時の治水技術を誇示するために作ったとも言われています。地上よりも高い場所に池を作るには優れた治水技術が必要だからです。

十字回廊の柱にはサンスクリット語や当時のクメール語で記された碑文が多く残されています。安田にはもちろん何が書いてあるかわかりません。

そしてこちらは江戸時代の日本人が残した碑文。修復によってさらに字が読み取れなくなってしまったとのこと。ちなみに日本人による碑文は10か所あるそうです。この写真が一番有名なところ。江戸時代に祇園精舎(インド)を目指した人がいました。熊本出身の森本右近太夫。西を目指し美しいアンコールワットに到着しここが祇園精舎と勘違いしてしまいます。日本に帰国する前にここがインドではなくカンボジアだったことを知ります。帰国するとき、カンボジアに残る決断をした一行がいました。帰らない人たちはカンボジアに日本人村を作りました。その場所はウドンにあります。日本に帰る方の一行は、その地名「ウドン」を忘れないように、カンボジアのとある料理(カンボジア語では「ロー(ト)」といいます)が大変おいしかったので日本に伝えようとしますが、「ロー(ト)」という名前ではなく・・・もうお分かりですね。料理名を「ウドン」として日本に伝えました。

こちらが安田が滞在中に食べた「ロー(ト)」です。英語ではニードル・ヌードル(針のような麺)といいます。日本の「うどん」よりも少し細目ですごく短いです。

さて、帰国組の森本右近太夫ですが、日本は鎖国をしていましたのですごく帰国することが難しくなっていました。そこで身分を隠して日本に入国することにします。もともとは「熊本」出身の「森本右近太夫」ですが、「森本左近太夫」と名を変え「京都」に住むことにしました。この右近太夫と左近太夫が同一人物であるか研究が進んでいるようですが、京都には「肥後 森本左近」という位牌が残っているそうです。

カンボジアと日本が関係する食べ物エピソードがもう1つあります。カンボジアには「ラパゥ」という食べ物があります。それは・・・こちらです。

そう、「カボチャ」。実はカボチャはカンボジア由来なのご存じでしょうか。カボチャを日本に伝えたのは16世紀ごろのポルトガル人。ポルトガル語でカンボジアのことを「カンボージャ」と言います。「カンボージャ」の瓜だから、カンボージャ→カンボジャ→カボジャ→カボチャ・・・となったんだとか・・・

さて、十字回廊にはもう一つ、大切なスポットが。それが上の写真です。午前中に訪問したタ・プローム遺跡の中に胸を叩くと響く部屋がありました。実は同じような部屋がアンコールワットにもあります。ここでも胸を叩いてみましたが、しっかりドゥーンと響きわたりピーナー先生からは「奥さんに言えない秘密がたくさんあるんですね・・・」といじられてしまいました。

第3回廊

いよいよ第3回廊です。この回廊に上るには東西南北に3か所ずつ計12か所にある急な階段を上らなくてはなりません。その角度なんと60度。もちろんうっかりすると落ちてしまうので当時の人たちもはいつくばって上ったに違いありません。でも、それでいいのです。王がいる中央祠堂に向かうわけですから皆頭を下げるわけです。
ちなみに観光客向けの入口が1か所作られています。ただ階段がものすごく急なので子どもや妊婦さんは危ないので入れません。また露出の多い服を着ていたりすると入口の警備員さんに止められたりするので要注意です。

こちら第3回廊から中央祠堂を見上げた様子。

仏像も安置されています。立像や涅槃像など様々。

こちらは第3回廊からの眺め。当時の王様もこの景色を見ていたのでしょうか。ピーナー先生曰く、「今はジャングルに囲まれているけど、当時は街があったはず。ジャングルではなく街の眺めだったんだと思います。だから今の景色とはかなり違っていたでしょう。」とのことでした。鋭い!

こちらは修復中の図書館。図書館といいましても経蔵。お経の巻物の保管庫です。写真手前のペットボトルのゴミが残念。誰か落としてしまったんでしょうね・・・

さて、こちらの写真にご注目ください。階段があって出入口のようになっています。手前は王の淋浴場。だから回廊から淋浴場に降りる出入口のようなものです。これがオリジナル。でも一部壊れていたので昔々、フランスによって修復されました。その写真が下です。

あれっ・・・梁と柱、間違えていませんか・・・はい。崩れていたのを組み立て直した時に間違えてしまったそうです。って間違えるか!?

 

以上で、アンコールワットの訪問記は終わりです。

アンコールトムのお堀でクルージング

観光の最後の行程です。

こちらアンコールトムのお堀を船でいく夕日クルージング。

世界遺産に認定されて環境対策にも力を入れています。船もエンジンなどは使わずに手漕ぎ。森林からの鳥や虫の鳴き声を聞きながら、それでも「しん・・・」とした静かでそしておごそかな時間が過ぎていきます。ちなみにお堀の水はとってもきれい。透き通って中の水草が透けて見えていました。

夕暮れ時が近づいてきました。

鑑賞ポイントはアンコールトムのお堀の上です。南西側に位置する場所です。

こちらが夕日。30分ぐらいはここにいたでしょうか。刻々と変わる空の色、そして森の中に沈んでいく夕日をずっとだまって眺めていました。

そして夕食

クルージングの復路の船のなかで先生が「夕食どうされますか?」と聞かれたので、「地元の人が大好きな食べ物やレストランがいいです。できればお昼にご一緒しました皆さんもご一緒に。」とお答えしました。

先生曰く、夜の定番は焼肉かお鍋ということ。「お鍋?今まで食べたことないです。」と伝えると先生はびっくりしていて行先はお鍋レストランに決まりました。

こちら、魚のすり身。黒いのは粒胡椒です。

エビとイカ。

野菜や揚げ湯葉。

大量の揚げ湯葉。

ピーナー先生がお鍋を作ってくれました。

キノコや野菜も投入。

そして出来上がり。

追加の具材で牛肉登場。

とってもおいしかったです。スープは薄い醤油色。すり身やイカ、エビからうまみがでて美味。このスープを無駄にしてはなりません。最後は雑炊で締めました。

お食事中、色々なお話をしました。JHCのガイドの皆さんは、「山本日本語学校」というところで日本語を学ばれました。そして全員ではありませんが、ほとんどの先生が日本に来られています。それは日本の文化に触れたり、四季を感じたり。この体験はもちろんガイドの品質向上につながります。ただたんに「日本語が話せるガイドさん」ではなく、日本人の考え方や日本人の住む日本という国を少しでも理解することで細かなところにも心配りができるガイドさんたちなのです。

雑談のなかでその人のことを理解し、アンコールワット観光が初めてなのかそうでないかでしゃべる内容を変えたり、もちろん年齢によっても使う言葉を使い分けられています。
安田が観光中に他の日本人観光客を何度か見かけました。その方々をガイドする日本語ガイドさん。ピーナー先生のガイドとは違うなぁと思いました。なんだか一方的に説明するだけで集中して聞いている人は少なく、みなスマホみたりして疲れている様子。
もちろん、たっぷりガイドしてもらおうと思ったら何時間もかかります。安田もアンコールワットだけで2時間ガイドしてもらいました。でも「あっというま。」ピーナー先生は「このレリーフ何に見えます?」と質問してくれたり、色々なエピソードを話してくれたり、インドの神話のことも。ヒンドゥ教から仏教への移り変わり。その過渡期に王様が国民にした気配りや配慮のことなど。そして何より良かったのは「ピーナー先生、アンコールワット遺跡が大好きなんだなぁ」と何度も感じたことでした。「私が大好きな、そしてカンボジア人の誇りでもある、アンコールワットを見てください!!」という気持ちでずっと終始笑顔でガイドしてくれました。
日本語の先生としても一流。ガイドとしては超一流のピーナー先生。ありがとうございました。

お別れ

最後はプノンペンへのバス乗り場まで送っていただきました。ドライバーさん、安全運転ありがとうございました。何度かいただいたお水、とっても冷たくって生き返りました。最後に記念撮影してお別れしました。

行きと同じの深夜長距離バスです。21時出発。

というわけで寝ます。・・・、で起きたらプノンペンについていました。途中トイレに1回起きましたが、トイレもとってもきれいで快適でした。到着は日付が変わっての20日2時40分。予定より20分早くついたようです。
トゥクトゥクでホテルに戻り、洗濯、バッテリーの充電などバタバタです。

最後に

という、素敵な一日の体験のブログを今書いています。現在、20日の午前4時30分。待ち合わせまであと30分しかありません・・・

「えっ、またどっかいくの?」

はい。アンコールワット弾丸ツアーの次はジョンの実家のスヴェイリンです。カンボジアの田舎生活体験。一泊二日で行ってきます。なので、ブログの更新はいったんお休み。次の更新はたぶん22日の朝になります。

皆さん、最後までご覧いただきありがとうございました。

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