こんにちは。カンボジア自転車プロジェクトの安田です。カンボジア滞在記2023の最終回となります。
ただいま!!そして大切な手続き
最終日の23日は午前0時30分出発の飛行機。北京の空港で乗継いでお昼ごろ関西空港に到着しました。最後のミッションがあります。
それは40キロのコーヒー豆(生豆)の輸入手続きです。
まずは飛行機の預け荷物を受け取るカウンターにある検疫所。こちらでチェックしないといけません。なぜならコーヒー豆(生豆)は種なので・・・ちなみに焙煎したものならここのチェックは不要です。
バッグを開けて職員さんに中身を見てもらいます・・・って、袋破けてるやん!!!職員さんも苦笑い。でも別に問題ないそうであっさりパス。
そして次からの行程が少し面倒なんです。
今回のコーヒー豆は例年同様に返礼品に皆さんにお送りするもの。これは返礼品と呼んでますが、ご協力金の対価ですので商用ということにになります。そして余った分はチャリティコーヒーとして販売するので、販売用としての食品の輸入手続きが必要。その許可が出るまでこのコーヒー豆はここから持ち出すことができません。でも手続きをしに関空の近くにある外部の窓口に行かなくてはなりません。
そこで登場するのが保税倉庫です。そこに預けるわけです。たった1時間ほど預けるだけですが数千円必要となります。しかも保税倉庫、最近運営会社が変わったみたいでぜんぜん業務に慣れていない・・・いけてない・・・何も知らない・・・ブツブツ言いながら荷物を預けて、いざ・・・
到着ゲートを出ました。ここでFacebookには「ただいま!」の投稿。でも気持ち的には「はやく手続きしなくっちゃ・・・」でした。そして
さむーーーーーーい!!!!!
ミニマム荷物の旅行が信条の安田はTシャツとペラペラ長袖しか着ていません・・・
関西空港検疫所食品監視課へ
食品の輸入手続きは「関西空港検疫所食品監視課」というところで行います。関k最空港の旅客ターミナルからはバス。しかも関係者しか入れないので一時入場の許可証をゲット。写真で首からぶら下げている黄色いヒモがそうです。申込書書くところも吹きさらし。寒い。寒すぎる。凍える手でミミズみたいな字を書いて入場証をゲット。
バスで関西空港検疫所食品監視課がある建物へ。そしてあらかじめ準備しておいた申請書を提出。
補正指示もなくばっちり完了。ちなみに個人事業で輸入であれば輸入者は署名すれば印鑑いりませんけど、法人なら法人印を押す必要があります。だから事前準備が大事。もし忘れていたら、会社まで取りに行く必要があります。
職員さんに「去年も来られましたよね。毎年この時期にコーヒー豆をお持ちですか?」と尋ねられました。はい。そうなんです。去年は補正修正かなり指摘されちゃいましたけど、今年は補正無し。「多分来年もまた来ます。よろしくお願いいたします。」とお答えしました。
関空に戻って保税倉庫さんとひともんちゃく
関空に戻ってきました。到着出口を出た後なので、あそこに戻るためには税関さんの窓口に行って事情を説明して職員さん同行のもとで内部に再入場します。ここで関税ではなく納税しなければいけないのが消費税です。コーヒーにかかったお金。そして輸送にかかった費用に課税されてしまうのです。その額、10,300円。ということは本体価格は10万円ぐらいの評価となりますよね・・・ちなみにコーヒーは全部で360ドルなので5万円ぐらい。残りの5万円が輸送費用ということになります。なんでこんなに高いのか不明です。
保税倉庫に払った保管料とこの消費税。外でのバス代など。約30,000円ぐらい必要です。保税倉庫は現金のみ。納税はカードだとなぜか100円の手数料がかかるシステム。だから30,000円ぐらいの日本円を持っておく必要があります。
いよいよ保税倉庫に向かいます。
「輸入食品等届出済」のハンコの押された輸入届出証と消費税を払った領収書を見せて荷物を受け取ろうとしたら、なかなか出てきません。しかも最初に払った料金が間違っていて返金があるとか、再計算だとか、領収書の書き換えとか、この時間約20分。しかも不慣れな職員さんが4名も右往左往。そしてボスらしき人、全然役立たない。眺めているだけ。一人が領収書を書いて、ボスと残り3名のスタッフがそれを眺めている。この時代に手書きの領収書。そしてそれを眺めているスタッフたち・・・外部委託なのかなんだかわかりませんが・・・
最後にイライラしちゃいましたけど無事コーヒー豆を受け取りまして・・・家内が空港まで迎えに来てくれました。
「ただいま。2週間、事務所とおうちを守ってくれてありがとうございます。元気に帰ってきました!!」
総括?
まずは皆さん、本当にありがとうございました。カンボジア自転車プロジェクトにご協力いただきました皆さん、無事に任務を終えて帰国することができました。305名の子どもたちに自転車をプレゼントし、3か所の新たな自転車クラブを設立し、35か所の既存クラブにパーツ補給ができました。
※以下、振り返っている部分の詳細はそれぞれの日の訪問記をご覧ください。
自転車寄贈セレモニーは計6回。アフターコロナで昨年訪問した時よりも学校はよりコロナ前に戻っていたように思います。たくさんの子どもたちがお出迎えしてくれました。マスクをしている子もいましたが、していない子の方が多くなったような気がします。
自転車クラブのパーツ補給では昨年支給したパーツがあまり使われていないクラブもあって移設するところが3か所(1つは候補先検討中。2つは移設済)ありました。これは設立時や補給時に繰り返し、「子どもたちに気軽にどんどん修理させてあげてほしい」と伝えることが大切と感じました。反省点です。来年はそのメッセージを先生に説明するラミネートプレートを作ろうと思っています。「修理が必要だったら気軽に先生に言ってください」というメッセージも併記して。説明した後、修理工具に貼り付けるつもりです。
私が奨学金で個人的に支援している3人の生徒さんにもあってきました。一人目はいま看護学校に通って看護師になる夢の直前。もう一人はいま高校3年生。来年は先生になるための養成学校に行きたいのだとか。3人目はいま中学3年生。もちろん高校に行きたいとお願いされちゃいました。個人的な奨学金支援・・・なかなかの額に膨れてきましたが一生懸命働きます(^^; 来年には4人目の新中学1年生の支援が始まります。
番外編は遊びが中心でしたけどユズキちゃんのお誘いでプノンペンのスラム街を訪問しました。スラムの子どもたちを支援する団体のチャンティさんに色々と見せてもらいました。農村部の貧困とは全く別の「都市の貧困」問題を少しだけ垣間見たように思います。どこにでも困っている子どもたちがいて、そしてその子どもたちを支援している様々な団体や人がいる。そんな当たり前のことにも気が付きました。
このスラム街の子どもたちを見て、「かわいそう」とか「気の毒だ」という気持ちはわくものの「何か支援しよう」という気持ちにはなれず。それは中途半端で継続できな支援はやるべきではないと思ったのと、安田が自分自身、カンボジア自転車プロジェクトでいっぱいいっぱいであることを再確認する機会となりました。
この滞在記の初日12月10日に52歳になりました。「52歳なんてまだまだ!」と思うのと「それでも40代と比べたら衰えた」と思うのと。そう、「まだまだ若いけど衰えた」なんて言葉が何度も頭をよぎった旅でもありました。「できるところまでがんばる。でも「できるところ」はこれから減っていくのかな」と思いつつ。これは弱気発言ではなく、同じパフォーマンスを出すにはもっと頑張らなければ!!という自分を鼓舞させる意味で書いています。
2023年プロジェクトの今後
2023年の活動はまだEDFカンボジアのメンバーだけで行ってくれるパーツ補給がたくさん残っています。それらが完了するとあちらから動画や写真と共に報告があげられてきます。それと並行してこちら側では返礼品の準備を進めていきます。皆さんへの返礼品の発送は来年2月頃となります。どうぞ今しばらくお待ちください。
2024年プロジェクトのこと
もちろん2024年もカンボジア自転車プロジェクトは続けます。皆さんどうかこれからも応援よろしくお願いいたします。夏場にはREADYFORさんのプロジェクトも立ち上げます。目標金額は「昨年以上」に決めているので今からびびりまくっています。
安田個人的な目標がこの旅でできました。それは来年訪問した際にセレモニーで皆が歌うカンボジア国歌を暗唱して一緒に歌うことと、英語で行っているスピーチをクメール語で行うこと。そう、どちらもクメール語しっかり勉強して来年に臨みたいと思っています。
締めくくり
そろそろこの滞在記も締めくくりたいと思います。
皆さん、毎日毎日、この滞在記をご覧いただきましてありがとうございました。
応援の声が届いていましたので眠たい目をこすりながらがんばって書きました。
誤字脱字てんこもりだと思うのですが、どうぞご容赦ください。
今日はクリスマスイブ。安田はカンボジアでサンタクロースになれました。みなさんのおかげです。
素敵なクリスマスをお過ごしください。
よいお年を。